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映画の感想

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『幸せのちから』 THE PURSUIT OF HAPPYNESS, 2006

 ウィル・スミス出演、ガブリエレ・ムッチーノ監督
 買い取った医療器具を売り歩くセールスマンだが、医療器具がそれほど売れず、夫婦の溝も貧しさとともに深まっていく。 ある日、妻が家を出て行く決心をして、ニューヨークへ行ってしまう。
 家賃の滞納から住むところを失うが、食事のシーンなどが余り無く、困窮さがあまり伝わってこなかった。 空腹感は貧しさを象徴すると思うが、前面に押し出される要素ではなかったようだ。 ある日、子供とともにモーテルに戻ったが、ドアの前に荷物が出されていて、モーテルを追い出された時の場面では、動揺している様子がよく表現されていたと思う。 証券会社での6ヶ月の無給研修期間では、貧乏と成功を両立させる過程であるが、サクセスストーリのヒントなどもそれほど無く、結果的に本採用になって良かったね、としか思えなかった。 感動もそれほどなく、なんとなくすっきりしない映画である。

『シェーン』 Shane, 1953

 アラン・ラッド、ジーン・アーサー、ヴァン・ヘフリン、ブランドン・デ・ワイルド出演、ジョージ・スティーヴンス監督
 旅の途中で農場の一家からいっぱいの水をもらい、夕食をご馳走してもらう。 シェーンはそこで雇ってもらうこととなり、一家からの頼まれ物を取りに行き、そこで作業着を買う。 一家の一人息子からたのまれたソーダ水を買うために酒場でからかわれるがシェーンは相手にしない。 その相手は、農場の一家を追い出そうとしていた男だった。 2度目にその酒場に行ったときに、一家の主人とともに冷やかした相手たちをやっつける。 結果的に銃で対決することになり、シェーンが雇われた殺し屋と対決する。 シェーンと一人息子の男の絆も描かれている。男気を感じさせる映画となっている。 正義が強く勝つところは良いところである。

『シザー・ハンズ』 edward SCESSOR HANDS, 1990

 ジョニー・デップ、ウィノナ・ライダー出演、ティム・バートン監督
 手がどうしてはさみなのかがよくわからない。 未完成なら手がなくてもいいものだが、どこをどう間違えたのかわからないが、 なぜ指の代わりにはさみなのかがわからない。また、同情が恋愛に発展する様もよくわからない。 象徴的に何を表現したいのかがわからない。 映像の表現技法を確立したいのか、何をどうしたいのかがよく理解できない。 人間という俗物とのギャップを理解することはできるが、 感情を初めから持っていなかったのか、それとももってはいたが偏っていただけなのか不明である。 人を好きになる感情や憎しみ(嫌悪感)は持ってはいたが、善悪の判断をする能力を持っていなかった。 この映画の中にどのような意図を含ませていたのかはよくわからない。

『7月4日に生まれて』 BORN on the FOURTH of JULY, 1989

 トム・クルーズ、ウィレム・デフォー出演、オリバー・ストーン監督・製作・脚本
 多くの若者達は理想にもえて志願兵として戦場へおもむいた。 その時はその事が社会の正義であった。だが、彼らがそこで目にしたものは戦争の非人間性、非人道性であった。 そこにあるのはただ単に地獄であった。国家のために死を覚悟して戦って負傷して戻ってきてみると、 全く社会の状況が変わっていた。自分達が戦争に行く前に持っていた価値基準は全く通用しなくなっていた。 社会が違ってしまったのだった。自分達が全身全霊を持って信じて戦ってきたのに、 自分の身体の自由を失って帰ってきてみると、自分たちは全くその社会の中では受け入れられなくなっていた。 範とすべき価値基準も、信じるべき道徳もなく虚無感におそわれた。 まさに 「lost」 した状態だった。 その失った、迷える状態から自分の進むべき道を探し出す過程が描かれている。

『シックス・センス』 THE SIXTH SENCE, 1999

 ブルース・ウィリス、ヘイリー・ジョエル・オズメント、トニ・コレット出演、エム・ナイト・シャマラン監督
 少年には銃弾が貫通した跡や血は見えなかったのであろうか。 また、少年は彼に見える人の話を聞くようにと助言を受けるが、 彼が教える前に、少年は彼の話は聞いていた。 彼の職責への無念の意志はそれほどまでに強かったのか。 過去に見た少年への後悔の念がそれほどまで強かったのか。誰かを救う事でその後悔の念を昇華させたかったのか。 それほどまでに彼の訴える心が強かったのか。 少年が見たものは幻聴、幻覚なのか、実際に感じたものなのだろうか。

『6デイズ/7ナイツ』 SIX DAYS,SEVEN NIGHTS, 1998

 ハリソン・フォード出演、アイバン・ライトマン監督
 ある特定の状況下で結ばれる恋愛関係はそう長くは持つものではないだろう。 苦境をともに乗り越えたのだが、その苦境を共有することで何かが精神的につながっていると感じてしまう。 そういった気持ちを持つことで、性格的なものも含めて全てにおいて親近感を持ち相性が良いと感じてしまう。 錯覚とまではいかなくても、異常な状況を同時に共有することで、興奮し、連帯感が強まり、 それを克服することで何かを一緒にやり遂げたと感じさせ、それらが恋愛感情であると思わせるような 不思議な感情を二人にもたらしている。 今回のこの二人の関係も、いろいろと性格的に変化を含んではいるがこれまでにあった映画のストーリーのように感じる。 ちょっと、頑固で生意気そうな感じのする女性に惹かれるという心理は理解できなくもない。

『シティ・オブ・エンジェル』 City of Angels, 1998

 ニコラス・ケイジ、メグ・ライアン出演、ブラッド・シルバーリング監督
 touch(触れる)や free will(自由意志) がキーワードだろう。 人間同士で触れ合いたいと思う。人として触れる。I feel you. 人のぬくもりを感じる。 人を感じていたい。永遠の命と引き換えに自由意志を手に入れる。 自分がしたいと思うことをする。自分の意志で行動する。
 前提として何も感じないのに誰かに恋する感情を持つのだろうかと疑問に思ってしまう。
 何も感じない、感覚がない永遠の命より、有限だが感じるという感覚をもって人間として生きるほうが良い。 その選択をするが、一瞬だけ幸せな感覚を持つがその感覚を永遠に感じられなくなってしまう。 しかし、一瞬だけでも感じられたことを幸せに思う。感じることの幸せと感じることへの悲痛を受け入れることになる。

『シティ・オブ・ジョイ』 CITY OF JOY, 1992

 パトリック・スウェイジ、ポーリン・コリンズ出演、ローランド・ジョフィ監督
 自分たちの力で自分たちの本来あるべき地位を回復する。 本来あるべきものを回復させ、自分たちの生活を守る。差別、偏見、宗教、文化な違いで人々の意思疎通がうまくできない。 同じ考えを持っていたとしても、狭い範囲の民族主義に阻まれそれぞれの人の思惟が伝わらない。 貧困という概念によって人の意思が解放されない。一部の権力者と、大多数の貧乏人がいる。 裕福な人間の策略により、仲間である貧乏人同士で争う。権力を持っている人間によって、 大勢の貧乏人が互いにいがみ合い、憎しみ合う。 貧民街の生活により、自分たちの家族を養うために必死になって仕事をする。 日々の生活の糧を得るのに必死で働く。教育をまともに受けることができず、労働でしか稼ぐことができない。 社会的制度の未熟さによって多くの人々の生活が劣悪なものとなっている。 社会的、文化的に全く違っている外国人が民衆の権利獲得にささやかながら手助けをし、 実質的な意味で民族の壁、わだかまりを取り除いている。

『下妻物語』 , 2004

 嶽本野ばら原作、深田恭子、土屋アンナ出演、中島哲也監督
 茨城県下妻市の女の子二人の物語。レディース所属のヤンキーと、ロリータファッションの女の子の奇妙な心の調和を描く。 基本的には二人とも協調性が無く、集団(学校など)から浮いている存在だったということだろう。 その二人が、奇妙な律儀さと消極的な人間関係を保ちつつ、親交を深めていく。二人ともスマートな人間関係を求めていないところが現代的な感じがする。 ある意味、個人や個性を重んじるばかりに生きにくい世代である。 個性は時には集団からの孤立を促してしまう。
 映像の色合いやスピード感、カメラワークがとてもよい。独特なモチーフをすんなり見せる技術がある。  

『シャーク・テイル』 , 2004

 声:ウィル・スミス、ロバート・デ・ニーロ、レネー・ゼルウィガー、ジャック・ブラック、アンジェリーナ・ジョリー
 アニメーション
 ベジタリアンのサメが魚を襲って食べるのではなく、海底で暮らすその他の魚たちと仲良く生活できるまでを描く。
 サメの会話は、ゴッドファーザーのパロディみたいな部分もあり、なかなかユーモアのある映画である。 海の世界も弱肉強食であるが、そのような側面を肯定して描くことなく、みんなで仲良くしていく過程の姿が表現されている。 小さな魚のオスカーが上を目指して、がんばっているが、根拠のない成功を求め、目先のことばかり追いかけて、本質的なものを見過ごし、少し短絡的で浅はかな感じは現代人に通じるものがあるのではないかと思う。

『シャイン』 SHINE, 1995

 ジェフリー・ラッシュ、ノア・テイラー出演、スコット・ヒックス監督
 オーストラリア映画
 母親の存在があまり感じれなく、父親が過干渉だったせいで、主人公は精神的に自立できないでいる。 彼に復唱させようとする行為が父親の過去の出来事による感情を昇華させようとするしこりのようである。 父親の想いをそのまま自分の中に取り込んでしまう。父親の想いと、じっと緊張しながらその期待に応えようとする。 父親と何とかわかれた後でも、父親の変わりに絶えず、年上の人を慕う。自分を全部ひっくるめて受け入れてくれる存在を絶えず求める。 父親と精神的に分離できないでいる。父親を克服することができれば、あんなようにならなかったであろう。

『灼熱の屋上』 1995

 韓国映画
 喜劇のようなストーリーである。暑さのために普段の理性が働かない。 そこに日ごろの鬱憤が噴出してくる。日常の些細な喧嘩だったのだが、そこに権利や社会的な差別、男女差別の問題が付加されてくる。 日常の不満を特定のコミュニティーであらわす。それをテレビを通じて国内に流す。それに同調する女性団体が盛りあがる。 屋上にろう城している女性たちと警察やテレビ局とのやり取りはコメディ調である。 政治的問題に全く関心が無いような女性たちが無意識的に社会を動かすような影響力を持って行動している。 屋上の人間たちとのやり取りで警察の無能さをシニカルに描いているが、現実性に欠ける部分がある。 泥棒が空き巣に入って生活するところを屋上の生活や 警察との関係を深めてもっとコミカルに描いたほうが面白かったのではないかと思う。

『写楽』 1995

 真田 広之、フランキー 堺、岩下 志麻、葉月 里緒菜、佐野 史郎出演、篠田 正浩監督
 夢と意地と憧れと呪縛に満ちた意思がある。 書きたいものがあり、書けないものがあり、書かせたいものがあり、書かせられないものがある。 書きたいと思う気持ちがあり、書きたくないと思う気持ちがある。 誰かの真似であったり、独特の絵であったり、人の気を引く絵であったりする。 独自の世界を生み出そうとし、独自の世界が時代に浮き沈みもする。 身分不相応な世界を見、そこにあこがれもする。自分の思い通りにならない自分の人生、他人の人生があり、はかなさがある。

『上海から来た女』 The Lady from Shanghai, 1947

 リタ・ヘイワース、オーソン・ウェルズ、エヴェレット・スローン、グレン・アンダース、テッド・デ・コルシア出演、オーソン・ウェルズ監督
 策略にはまり殺人犯となった男が自分の無実を勝ち取るまでを描く。
 自分から声をかけたのだが、そのことがきっかけで女の計画の道具とさせられる。最初からその気なら、やはりだまされても仕方がないかもしれないが、 相手をだます勇気や度胸も必要であることであろう。金持ちの弁護士の妻は飛び切りの美女である。しかし、夫と別れてしまうと貧乏人に転落してしまう。 しかし、夫は年をとった足の不自由な男である。夫を他人の手で殺し自分はそのお金を手に入れようと画策する。 登場人物もそれぞれいい役割を果たし、弁護士の妻の計画の手助けをしたり、思わぬ邪魔となったりする。なかなか見ごたえのある映画である。

『終電車』 Le Dernier Metro, 1980

 カトリーヌ・ドヌーヴ、ジェラール・ドパルデュー、ジャン・ポワレ、ハインツ・ベネント出演、フランソワ・トリュフォー監督
 フランス映画
 第二次世界大戦下のパリ。半分ドイツに占領され、モンマルトルの劇場を運営していたユダヤ人の男は国外へ逃亡したとされていたが、 実は劇場の地下に身を潜めていた。 劇場の権利を妻に譲り、自分は脚本と演出のメモをほかの演出家に渡し、地下からその劇のレッスンをひそかに聞いていた。 地下から聞いて自分の演出方法を変更したりして、劇も初日を迎えた。 1人の批評家を除いて劇は賞賛されたが、そのことをめぐり、その劇場で演じていた男優と批評家がけんかをしてしまう。 喧嘩をしたことにより、妻であり出演者の女とその男優は仲たがいをするが、実は妻のほうは男優を愛していた。 男優が劇場から去るときに、妻とその男優は結ばれてしまう。
 フランス映画によくあるパターンのように思われる。色恋沙汰は劇場の外でしろ、と妻はある女に言うが、結局は自分も劇場の中で色恋沙汰をしてしまう。 裏切られた伴侶のことは置き去りにして、不倫とか恋愛をしている当事者が脚光を浴びるのはなんだか変な構図である。 恋愛は突如に、自分の意思とは関係なく、表れるのかもしれないが、それを正当化する根拠がなく、ほれたのだから仕方がないといういう表現では単純である感じがする。 誰でも一度はする恋愛以上のものを表現するくらいの心意気を感じたいと思う。

『シュリ』 SHURI, 1999

 ハン・ソッキュ、キム・ユンジン、チェ・ミンシク、ソン・ガンホ出演、カン・ジェギュ監督
 韓国映画
 目が回るようなカメラワークである。第三者の視点であるのにさも一人称の視点のようにカメラを揺らしているのは なんだか変な気がする。またそのような、画面が揺れているシーンが多過ぎるので見ていて疲れる。 また、そういうシーンが多すぎてマンネリ的な感じがする。
 民族とか主義主張の問題はここでは述べることはないが、この映画に出てくる若い人達は自分達が作った歴史のように語っているのには なんだか違和感がある。
 出てくる人間たちは全体的にプロ意識に欠けるような行動をよくとっている。 狙撃者が自分が撃った薬莢などを残すのだろうか。また、銃を撃ったりミッションを遂行する人間が つめを伸ばしていたり、マニキュアなどを塗っているのだろうか。 捕まってすぐ自爆する人間もいれば、自爆しない人間もいる。 感情に流されて自分の仕事をスムーズに進めない人間もいる。出てくる人間たちはプロ意識の欠如を見せている。 最後のほうのシーンは極めて感傷的な感じがする。哀愁のある映画はアジア的な感覚を醸し出しているが、 くどいような印象がある。

『シュレック』 Shrek, 2001

 声:マイク・マイヤーズ、キャメロン・ディアス、エディ・マーフィ、ジョン・リスゴー
 アニメーション
 二人とも魔法が解けるのかと思った。しかし・・・。パロディも含まれていて、笑える部分もある。 姫を助け出すための格闘シーンはおもったほどない。この映画の姫の存在は異色である。 これまでの姫のイメージ、既成概念とは異なっている。取り繕って振りをしたり、武術に長けていたり、自己の要求、欲求を言葉に出す。 姫の気高さとか奥ゆかしさ、教養、威厳というものはほとんどないように感じる。ただ、プリンセスという言葉だけが姫と認識させる。 人間から見た美しさや醜さの基準でogre「怪物、(童話の)人食い鬼[巨人]; 鬼のような人」を見ているが、 そもそも、シュレックも他の種を見ないでogreの基準で美しい、醜いを判断すればいいのではないかと思った。 視点は人間で描かれえいるということだろう。
 人物の動きは多少ぎこちなさを感じる。

『ショーシャンクの空に』 The Shawshank Redemption, 1994

 ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン、ウィリアム・サドラー出演、フランク・ダラボン監督・脚本
 この映画は、一人の調達家の男の独白で話が進んで行く。"Get busy living, or get busy dying." 「必死に生きるか、必死に死ぬか」というせりふが示すように、 いろいろな人生におけるそれぞれの人間模様がうつしだされている。 仮釈放になってからの、二人の生き方(死に方)にも興味ぶかい。 Brooks was here. So was Red.という言葉も印象的だ。 独房に張られていたポスターが変わってゆくことに、時間の流れを感じる。 「フィガロの結婚」(モーツァルト)が刑務所内で流れることはとてもギャップがある。 しかし、主人公の妻への思いを代弁してくれている。ロックハンマー、ポスター、聖書が重要な小道具になっている。 「聖書の中に救いがある。」 刑務所の所長が言った言葉だ。 それと、所長の部屋の額に入っていた聖書の言葉もこの映画においてとても重要になっている。

『少林サッカー』 少林足球, 2001

 チャウ・シンチー、ウォン・ヤッフェイ、ヴィッキー・チャオ、ン・マンタ、パトリック・ツェー出演、チャウ・シンチー、リー・リクチー監督
 香港映画
 一番強いのは、サッカーボールであろう。また、太極拳との関係はわからないが、太極拳のほうが勝っていたのだろうか。 ワイヤーアクションとアイデアはとてもおもしろい。また、ばかばかしさの要素がとてもよいエンターテイメントとしている。 まじめな感じの映画であったら、とてもつまらなくなっていただろう。 おおげさな、ありえない動作とばかばかしさがとても調和していて飽きさせない。 ムイの変身ぶりもありきたりなのだが、見所であろう。

『少林少女』 , 2008

 柴咲コウ、仲村トオル出演、本広克行監督
 日本で少林拳を広めたいとする少女が、少林拳をするという交換条件で大学のラクロス部へ入る。その後、よく理解できない理由でその大学の学長と彼女が闘う。
 見所はどこなのだろうかと疑問に思う。少林拳はどこへ行ったのかと思う。ストーリーも面白くないし、アクションもあまりぱっとしない。

『少年メリケンサック』 , 2008

 宮崎あおい出演、宮藤官九郎監督
 レコード会社に勤める女性が、ずいぶん過去のパンクバンドの映像を見つけ、アポを取り付ける。
 パンクという事、年齢という問題をツアーを通じて面白おかしく描こうとしている。しかし、あまり面白くはない。長時間見るには退屈な感じがする。

『ショコラ』 Chocolat, 2001

 ジュリエット・ビノシュ, ジョニー・デップ出演、ラッセ・ハルストレム監督
 チョコレート菓子によって人の心を解放させるという なんとも大胆な考えの元に小さなコミュニティで奮闘する。 伯爵を筆頭に住民も母子に訝しさを感じていたが、 次第に住民のほうは彼女のチョコレートの不思議な力に引き込まれていく。 厳格なカソリック教の元で住民はその教えを守り、互いに牽制的になっている。 彼女のチョコレートによって解放された女性を助けたり、 その女性に助けられたりしてそのコミュニティにとどまることになる。 住民を扇動していた伯爵も彼女のチョコレートの不思議な力に取り付かれ、 その母子をコミュニティに受け入れるようにする。 夫婦の問題も、親子の問題も、過度に喪に服することもチョコレートのように滑らかに 解かれていく。

『白い恐怖』 Spellbound, 1945

 イングリッド・バーグマン、グレゴリー・ペック出演、アルフレッド・ヒッチコック監督
 所長として赴任してきた男が、実は成りすましていて、さらに記憶喪失であった。精神分析医の女医がその記憶喪失者の精神分析をする。
 最後にはきちんと説明された真犯人が現れ、納得して終わる。期待を裏切らないヒッチコックの映画である。 スキーで滑っている時の音楽がヒッチコック映画を如実に表している。 イングリッド・バーグマンはなかなかきれいである。

『白いドレスの女』 Body Heat, 1981

 ウィリアム・ハート、キャスリーン・ターナー、ミッキー・ローク出演、ローレンス・カスダン監督・脚本
 それぞれの人間の心情を追うと面白い。 彼の心情、友人達の心情と彼女の心情は違っている。 結論を知ると最初からの彼女の行動が筋道をつけられているようだ。 彼の中には信じる気持ちと裏切られているような気持ちがある。 一度信頼が失われると次から次へと猜疑心が沸き起こってくる。 彼の中にはやましい気持ちがあるからその感情が増幅されて、その感情を彼女に当てはめてしまう。 彼は真実を暴ける事ができるほどなら、犯罪が成功すると信じたことは矛盾するかもしれない。 しかし、それが自分を見失った者の行動なのかもしれない。

『白く渇いた季節』 A DRY WHITE SEASON, 1989

 マーロン・ブランド出演
 アパルトヘイトの問題を扱っている。 最初から差別も偏見もない状態で育ったなら、人種による差別は生じないのだろう。 先入観のない状態であるなら、理由も無く人を蔑んだりすることはないのだろう。 冒頭の黒人と白人が遊んでいるシーンはそういうことを連想させる。 裁判は名ばかりで欺瞞であった。真実を証明する場所ではなく、身内を擁護するためにある。 正義と法は一致していない。人種差別に慣れきってきた男が、 差別に気づき、正義を実現させるために警察、公安部と戦う。 息子は理解を示すが、妻や娘は理解しない。 黒人と白人との間にある軋轢を埋めるために、家族の間に軋轢が生じる。 男は白人という立場から、差別の結果の惨劇を浄化させようとする。 何かを変えようとするには外側から変えるのではなく、内側から変えなければ問題は解決しないのだろう。

『シングル・ファーザー』 HERE COMES THE SON, 1996

 スコット・バクラ、チェルシー・フィールド出演、ポール・シュナイダー監督
 突然、自分が父親になる。そのときまで予想だにしなかった事柄だった。 次第に自分の息子であるという確信と、父親だという自覚が芽生える。 自分の意志とは無関係であるところで、自分が父親となり、 父親だという事実も急にやってくる。それを受け入れられるころに父親であることを奪われそうになる。 母親とその兄との関係、母親と息子の関係、息子と父親の関係、母親と父親の関係、 父親と義兄との関係、それぞれが微妙な関係である。 子どもを保護しようとする行政、司法サイドと親であることの権利が微妙にずれて交差する。 愛情とみなすか、変質的な性癖とみなすかは過剰に反応する人間にとっては微妙な事柄なのかもしれない。

『真実の行方』 PRIMAL FEAR, 1996

 リチャード・ギア主演、グレゴリー・ホブリット監督
 ヒチコックの『サイコ』のような感じを持ったがそうではなかった。
 「無実」と「無罪」は違うということであろう。幼児期の虐待によって解離性同一性障害(多重人格)や精神分裂病になり、 それが背景となって、大人になった今、性的虐待を強いられたから犯行に及んだという動機付けはわかる。 しかし、最後のシーンでそれらの理由付けが崩れ去ったときに、それなら本当の動機は何なのだ? という疑問が生じる。ストーリーの展開は予想できないものだが、 それを裏付ける証拠や根拠がないと内容的に納得できない部分が出てくる。 その納得できない部分を取り除かないと腑に落ちない。
 最後に予想できなかったことになるのだが、マーロンが受けたこととそれに対する感情はどのように生じたのだろうか。 マーロンはマーロンの判断基準があり、ロイにはロイの判断基準がある。その判断基準から受けた印象は その人特有のものになるだろう。 ロイのほうが本当の人格だというのなら、彼は彼の持っている感情で判断するのだから、 マーロンが受けたような感情体験を持つわけはない。またマーロンの人格を設定して作り上げられるだけの 頭脳が彼にあったのかという疑問が残る。 または、交代人格(児童虐待などを受け、それは自分に起きたものではない、 思い出したくないという思いが記憶や感情、身体反応を「自分」から切り離してしまう。 この心理的防御を「解離」といい、こうした解離が進み、心が統一性を保てなくなると、ばらばらに心理活動をする状態が生まれるもの) が「自分が本物」だと言ったのならそれはそれで映画上良いのではないかと思う。 もし、そうならそれを感じさせるような描写をもう少し出すべきであろう。

『シンデレラマン』 Cinderella Man, 2005

 ラッセル・クロウ、レネー・ゼルウィガー、ポール・ジアマッティ、クレイグ・ビアーコ、ブルース・マッギル、パディ・コンシダイン主演、ロン・ハワード監督
 これまでボクシングの試合で稼いで来たが、世界大恐慌で株の投資に失敗し、困窮を極める。 50ドルを手に入れるために、右手の負傷をおして試合をするが、内容がぼろぼろで試合は中止、ライセンスを剥奪されてしまう。 雪が降る季節に電気も止められ、息子が病気になる。公的機関の援助を受け、それでも足りない不足分を頭を下げカンパを募る。 このどん底から、1回限りの契約のチャンスを生かし、自分の手で人生を変えたいと願い、実行していく。
 電気料金の滞納を納め、電気もつき、戻ってきた子どもたちの笑い声が人生の転換の兆しだったのだろう。 期待されていない状態から勝ち進むと応援している人々はよい気分となる。 また、不況や生活水準の低いところから脱したい人々にとっては夢や希望となるだろう。 妻や子どものことを思い、それが励みとなる家族というのはとても幸せなことである。

『シンドラーのリスト』 SCHINDLER'S LIST, 1993

 リーアム・ニーソン、ベン・キングズレー出演、スピルバーグ監督・製作
 この映画は、a black and white film であるが、ろうそくの炎の色の赤、オレンジと、少女のコートの色がカラーになっている。 賄賂を巧みに使って、儲けて行く。その生き方と、後半の同じ人物の生き方はとても対照に描かれて行く。 主人公と将校の生き方も対照的になっている。 最初は、人が殺されることにまったく無関心の男と、人を殺すことに無関心な男。 生きている間はとても幸せだとは言えない人生を主人公はおくってゆく。 最後は、人を助ける人間と、自分が絞首刑になる人間。 人生は自分で評価するものではなく、結果的に他者に認められるものかもしれない。 リストを作るときに、主人公は煙草をずっと吸っているが、 あの煙草の煙はリストに載るかどうかの人々のはかない人生を象徴しているかのようだ。 みんなが隠して持っていた金属で指輪を作って主人公に贈るが、その指輪が彼の指に合わない。とても大きすぎる。 彼が、やつれてやせたのか、または、みんなの誠意の気持ちがとても大きかったのかのどちらかであろう。

『シンプル・プラン』 A SIMPLE PLAN, 1998

 ビル・パクストン出演、スコット・スミス監督
 目の前に大金が現れると現状認知能力が欠如したりと推測や仮説が立てられなくなるのだろうか。 それほど人間の生活はお金によって支配されているということなのだろうか。 お金が幸せを読んでくれる。 お金があるから生活の苦労から解放されて幸せになるのか。 大金が人の意志を奪い、思考を狂わせていく。 大金を見つけなければ淡々と生活を送っていただろう夫婦や 兄弟、仲間がある日を境に破滅への道を突き進んでいく。 最初の約束など全く守られず、お互いの弱みに付け込んで妥協の連続である。 妥協することによって更なる事件を呼び起こす。 人間たちがらせん状に欲望を増やし、悪事を重ねていく様子を描く。


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