-映画の感想-

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映画の感想

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『カーズ』 CARS, 2006

 ジョン・ラセター監督
 アニメーション
 ハイウェイができ、廃れてしまったルート66沿いにある町に、ピストンカップで優勝争いをしているピカピカの車が、ある理由のため立ち寄る。 そこでいろいろな車に触れることで、いままでなかった感情が芽生える。
 設定が人間ではなく、車であること以外は、それほど珍しい内容ではない。 なお、新しいということだけでは、運転やメンテナンスの技術という面ではかなわないこともあるということだろう。

『母べえ』 , 2007

 吉永小百合、浅野忠信、檀れい、志田未来、佐藤未来出演、山田洋次監督
 昭和15年に治安維持法違反で帝国大学卒の父が捕らわれる。思想犯としての父(夫)を持つ母子の貧困の生活を描く。
 映画の中に泣けるシーンもある。それほど困窮さは無いが、耐える母子の姿が描かれている。 母に想いを寄せる書生もいたが、後に徴兵されて死んでしまう。なお、家族を養うという意味では父の不甲斐なさを感じる。父の思想(考え)は戦時下という時代にそぐわなかった。 家族のために父(自分)の思想を変える(欺く)こともできたであろう。だが、家族のために思想を変えられなかった父は果たしてどうなのだろうか。 思想という問題と、それに伴う生と死が、その時代の中にある価値観を含めて描かれている。

『帰らざる夜明け』 Widow Couderc, 1971

 アラン・ドロン、シモーヌ・シニョレ、オッタヴィア・ピッコロ出演、ピエール・グラニエ・ドフェール監督
 フランス映画
 脱獄して逃げている男と、田園が広がる田舎町で義父と二人暮らしをしている中年女の微妙なつながり合いを描く。 人を殺し、投獄されていた男の心境と、中年女は元は使用人で後に結婚はするが、その家の息子とその父親に犯されたことがある女の心境が、ある部分でシンクロしたのだろう。 女は3日間の約束でその逃げてきた男を日雇いで雇ったのだが、日を重ねるにつれ、男女の仲となる。 しかし、お互いに虚しさをどこかに感じていたのだろう。欲望や嫉妬の感情はあるが、本気になることはない。 しかし、心の底部でつながりあうようなものがあり、そのために本気以上の心のふれあいがあったのかもしれない。 男と中年女のよどんだ意思の流れと停滞している人生の空虚な様を感じる。

『隠し剣 鬼の爪』 , 2004

 永瀬正敏、松たか子、吉岡秀隆、小澤征悦、田畑智子、高島礼子出演、山田洋次監督
 日本映画
 謀反を企てたとされるかつての兄弟弟子同士が戦う羽目になる。そこでその相手の妻との会話や聞き及んだ事柄により、伝授された隠し剣を家老に浴びせる。 武士としての使命を果たし、町人となり嫁を娶る。
 武士としての名誉がキーワードであると思う。禄高は少ないが細々としてやっている。田舎としてのしがらみもあり、伝統を重んじなくてはならない。 礼を尽くし、正直さや誠実さはあるが、かっこいいということはそれほど伝わってこない。なお、当時の日本人としての心が存在していると思う。 恥の文化や慈しみも失われつつあるこの現代ではなんとも形骸化しているように思えて、この映画の本質としてはむしろ悲しい。 自分さえ良ければ良いという事ではなく、この映画のように本分を全うし、現代でも「自分」を生きて欲しいと思う。

『カクテル』 Cocktail, 1988

 トム・クルーズ主演、ロジャー・ドナルドソン監督
 実社会と机上の勉強を比較して、彼は実社会に出てそこでの成功を望んだ。 金を持っていない人間の視点からの金持ちと貧乏人との対比がある。貧乏人には野心と夢がある。 夢を実現させるためにブライアンはいろいろなことをする。たまには人を傷つけることもあり、 また自分も傷つくこともある。実社会での成功を求めて試行錯誤する。 誰かを犠牲にしたり、誰かを利用したりしてまでも成功を求める。相棒が金を手に入れて成功すると やはり嫉妬がある。嫉妬によって自分の意思を麻痺させてしまう。麻痺させたことによって大切なものを失いかけるという悪循環が生じる。 しかし、彼にとっていったい何が本当の意思であり、真実であるかを人の「死」によって学ぶ。 頭ではわからない、感情を伴った体験をして幻(illusion)ではなく自分の夢(dreams)をつかみ取ろうとする。
カクテルを音楽にのせて踊りながら作るシーンは見所である。

『かげろう』 STRAYED, 2003

 エマニュエル・ベアール、ギャスパー・ウリエル、グレゴワール・ルプランス・ランゲ、クレメンス・メイアー出演、アンドレ・テシネ監督
 フランス映画
 戦争で夫を失い、ドイツ軍から逃れるためにパリを脱出した母子が青年と出会い、住人が避難して空き家となっている屋敷で一時生活をする。
 子どもたちの人物像がよくわからない。誇り高くばかにされるとすぐいじけてしまう。 また、一人前の大人のようなことを言うが、母に頼り任せきりの部分もある。よく言えば、成長過程の子どもであるが、単なる作られた人物像である感じがする。 屋敷で生活をしている時に、読み書きのできない青年に教師であった母が字を教える。 そこには男女を意識する感情はないが、連帯から逃れてきた兵士2人が屋敷に来たことで、母とその青年は男女の関係を持ってしまう。 2人の兵士に触発され、母は青年を自然と求める。 恋愛であったり、単なる関係であったり、不自然な男女の関係を描く作品がフランス映画には多いように感じる。 不自然さが描かれていることが美であるような錯覚に陥る。結局は見ている者の日常的に満たされることのない欲求を表現しているだけのように感じる。

『カサブランカ』 Casablanca, 1942

 ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン出演、マイケル・カーティズ監督
 スペインのリスボンを経由してアメリカへ渡るために仏領モロッコのカサブランカで出国ビザを待っている。 そこでかつてパリで恋愛をした男女が出会うが・・・。
 粋な映画である。愛しているということもあるが、相手を思いやる気持ちが多分にある。 愛している人たちもそうだし、愛していない人たちもそうである。 自己犠牲がプラスの方向に重なり合っている。お互いにそうである。多くの人々が他者を思いやる気持ちがあり、それを重んじている。 人を思いやる人たちのプラスの作用とプラスの連鎖がある。

『華氏911』 FAHRENHEIT 9/11, 2004

 マイケル・ムーア監督
 9.11テロやブッシュ大統領とオサマ・ビン・ラディン一族、サウジアラビアとの関係、イラク戦争などを独自の視点から描く。
 映画の内容の真偽の判断はできない。政治的な思想を持って映画制作をすることはあることだが、その作品が政治的な意味合いで評価されたり利用されたりすることには疑問が残る。 そういった評価や利用をできる限り避けるべきだと思う。

『風の谷のナウシカ』 , 1984

 声:島本 須美、納谷 悟朗、松田 洋治、宮崎 駿監督
 アニメーション
 かつて高度に発達した文明で暮らしていたにもかかわらず、現在は自分たちが住む土台を失い、それに苦しんでいる人間たちがいる。 また、自分たちが苦しんでいる元を力で解決しようとする人間と、浄化させそれとともに生きようとする人間たちが描かれている。
 圧倒的な力を手に入れたにもかかわらず、それを制御することができず、その力によって滅ぼされる。 また、自分たちが世界を汚したが、その汚した結果におびえて暮らさなければならないという自業自得の世界が描かれている。

『風の中の牝鶏』 , 1948

 佐野 周二、田中 絹代、村田 知英子、笠智 衆、坂本 武、高松 栄子出演、小津 安二郎監督
 夫が復員するまで、着物を売ったりしながらも息子と生活をしていたが、息子の治療費を払うために、一回限りであるが体を売ってしまう。 妻はそのことを悔い悲しむが、復員した夫はそのことを聞いて妻へつらくあたってしまう。 妻は許しを請うが、夫はなかなか首を縦に振ろうとはしない。妻の苦しみと夫のわだかまりを描く。 戦後の貧しい時代と、夫婦のあり方、時代における男女関係が伝わってくるように思う。

『カッコーの巣の上で』 One Flew Over The Cuckoo's Nest, 1975

 ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、ウィリアム・レッドフィールド、マイケル・ベリマン、ウィル・サンプソン出演、ミロシュ・フォアマン監督
 労働農場を嫌って精神に異常があると見せかけて精神病院にやってきた男の悲しい最期を描く。
 病的とまではいかなくとも社会生活を送ることには周りと協調性にかけている。 犯罪を何度も起こし刑務所に行ったり来たり、自制心の欠如は立派な異常の枠に収まるのだけれど、決定的な精神病ではない。 ただ、社会という枠内には収まりきらないところがある。彼は精神病院での生活を気楽に送り、自分はすぐ出られると思っていた。入院患者ともいざこざを起こすが、 仲は悪くない。患者にいらいらしたり、婦長を嫌っていたが、自分はいつでも出られるという優越を持っていた。 しかし、自分の処遇は病院関係者にゆだねられており、自由意思では外へ出られないことを知り愕然とする。 それとは別に自分の意思で入院している患者が多いことを知りさらに驚く。 自分の意思で入院しているのだが、そこには看護士の判断で制限を受ける。入院している限りは病院のルールに沿わなくてはならない。 ルールに沿わないと罰(治療)を受ける。そこには患者の尊厳が守られないこともある。 社会という枠、病院という枠の中でそれぞれが自分という動物をコントロールする。その枠には枠にとどまらせておく制限が存在し、その中でしか自由が保たれない。 その枠を逸脱すると異物として制裁を受ける。 社会の中と病院の中のそれぞれの制限が、人間の尊厳や人格と対立しながらも、他者の尊厳や人格を守っているという妙な平衡を保っている。 映画の最後の静寂が人間らしく生きるという厳しさをあらわしているように感じる。

『髪結いの亭主』 Le Mari de la coiffeuse, 1990

 ジャン・ロシュフォール、アンナ・ガリエナ、ロラン・ベルタン出演、パトリス・ルコント監督
 フランス映画
 子供の時の散髪屋の女主人に憧憬し、大人になったら散髪屋の女主人と結婚することを夢見た少年を描く。
 子どものころ、匂いと視覚に触発され、触感を想像する。触りたいとかもっと見たいとじらされ、できないことを想像する。 想像することで満足し、大人になってからそのシチュエーションを成し遂げることで至上の喜びを感じる。
 フランス映画の面白いところは、故意かどうか知らないがわざと突然悲しくしたりする。 人生や生活が複雑なのかもしれないが、単純でストレートな感じではない。少し粘着的な感じがある。

『かもめ食堂』 , 2005

 小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ、ヤルッコ・ニエミ、タリア・マルクス、マルック・ペルトラ出演、荻上直子監督
 フィンランドでお客が来ない和食の食堂を1人でやっている日本人女性がいた。 目をつむって地図を指差した場所がフィンランドだったという日本人女性とあるきっかけで出くわし、そして同居するようになる。 さらにもう1人、荷物が紛失し、航空会社へ問い合わせている女性が食堂を手伝うようになる。
 どうしてフィンランドなのか、と思ったが、なんとなく分かるような気がしてしまう。 『フィンランドではやっていけそうだと思った。』ということもあるだろう。 そして、雰囲気という意味の食堂の「におい」と食堂にやってくるお客が合っているのではないかという思いもあるのだろう。 さらに、街や人、食堂が「自然の流れと自分の気を同調させて合わせる」という合気道にも繋がるのだろう。 食堂のメインメニューが「おにぎり」というところも、父親の思い出のエピソードを絡めて「心」が感じられるし、 『どこにいても、悲しい人は悲しいし、寂しい人は寂しいのではないか。』や『人は皆変わっていくものですから。』というセリフも 時間の流れや心情の流れを感じられる。
 また、フィンランドの森の映像は、人や心の動きを感じられる気がする。 森のざわめきや風の音が、静かで穏やかであるがしっかりとしたものを感じさせる。 それが、人の在り方を連想させる。

『花様年華』 in the mood for love, 2000

 トニー・レオン、マギー・チャン出演、ウォン・カーウァイ監督
 香港映画
 大人の男女のけだるさを感じる。ティーンの時の勢いや機敏さはない。 ゆったりと泥沼の中を回転木馬に乗って堂々巡りをしているような感じがある。 経験による効率的な生き方とは反対に、 経験による鈍った瞬発力しかない。 理性と自制による物分りのよさと世間体を気にするあまりに 自分たちの行動力を鈍らせている。 精神世界では感情に任せて自由に行動しているが、 実際の肉体の生活は縄で縛られているように束縛されている。 人生の途中の閉塞感を感じさせながら男女の「恋愛」を心の中で育んでいる。 刺激をまともに反映させる鋭敏さはもう失い、 結果を「考えてしまう」賢明さが具わってしまった。 なりふりかまわない迷惑な行動よりはましなのかもしれないが、 ふと気づくとさびしさが漂う感じがする。

『カラーズ 天使の消えた街』 COLORS, 1988

 ショーン・ペン出演、デニス・ホッパー監督
 街を活性化させたり、治安を向上させようとするには子どもを教育するのが一番早いだろう。 警察官の数を増やして事件を未然に防ごうとするのも一つの手であろうが、 それは本質的な解決とはならないだろう。抑圧するだけのことであって人間の内面から変えることにはならないであろう。 しかし、教育機関が役割を果たせないのなら、警察が犯罪を取りしまうしかないだろう。 その取締りの仕方が警察で一貫していないのなら、それは市民や犯罪者にとっては悪になるだろう。 警察官によって対応が様々であるなら不信感を抱かざるを得なくなるだろう。 警察官個人の個性を尊重するのと、取り締まりの方法をばらばらにするのは全く違うことであろう。 警察官の対応を統一しないと警察の輪自体が揺らぐこととなるだろう。

『借りぐらしのアリエッティ』 , 2010

 米林宏昌監督
 アニメーション
 第一印象はあっさりしすぎて、これでおしまいなの?と思った。 もっとインパクトのある出来事やテーマがあるのかと思った。 「掟」というのは、現代にはなじまない感じがするし、いろんな意味で借り暮らしは多いが、 そこまで思い入れがあるわけではない。レンタルする場合にはたいてい対価を払うし、 隣同士で醤油を貸し借りする時代ではない。
 小人がメインの作品だが、あまり小人の視線で描かれていない感じがする。 俯瞰的で第三者的な視点で描かれている印象である。
 絵は色彩に溢れとてもきれいだと思う。

『カルマ』 INNER SENSES 異度空間, 2002

 レスリー・チャン、カリーナ・ラム、マギー・プーン、リー・チーハン出演、ロー・チーリョン監督
 香港映画
 恐怖とかぞっとするというよりは、幻覚と幻聴に悩まされた男女がそれらを克服するまでを描く。 心に巣くっている闇の部分を取り除いたり、受け入れたりして回復する。 自分では気づかなかったことが原因であったりする。その原因となったことを認識し、自分で克服しなければ自分を取り戻すことができない。 怖いということよりは厳格が見える原因はなんだろうと思ってしまう映画である。

『華麗なる対決』 Les Petroleuses, 1971

 ブリジット・バルドー、クラウディア・カルディナーレ、マイケル・J・ポラード出演、クリスチャン=ジャック監督
 フランス・イタリア・スペイン映画
 女5人の強盗団が奪った戦利品の中に牧場の売買契約書が含まれていた。 そこで強盗をやめ、牧場で落ち着こうとするが、その牧場には石油が出ると知る者たちの邪魔が入り、強盗団は色目を使いながら格闘を繰り広げる。
 胸ははだけているが、それほどセクシーさはない。最後は粋な感じでよい。

『完全なる飼育』 , 1999

 竹中直人、小島聖、北村一輝、沢木麻美、塚本晋也、永島克出演、和田勉監督
 心と体が結ばれた完全なるセックスを求め、女子高生を誘拐、監禁する。レイプをするのではなく、男は飼育して心と体が結ばれたセックスをしようと監禁する。
 結果として、誘拐、監禁は犯罪であるということである。女子高生の心情の変遷を感じることはあまりできない。また、 これまで過去と未来を捨て、一過性の快感に身を投じるとはあまり考えられない。さらに、相手に対して嫌悪するということが本当だと思う。 ただ、社会と遮断され、情報も外からの一方的なものとなり、コミュニケーションを取る人間がただ1人となった場合には、 種の保存の本能としては、もう一方を選ばざるを得ないかもしれない。愛情というよりも、社会に対して責任を追う必要もなく、 情欲におぼれるままセックスにふけるようになることは現代社会ではありうることかもしれない。 しかし、そもそも誘拐、監禁をした動機自体が歪んでいるものであり、それを肯定するような結果が出るということは決して良いとはいえないだろう。

『完全なる飼育 愛の40日』 , 2001

 緋田康人、深海理絵、野田よしこ、徳井優、伊藤恵、山内恵美子出演、西山洋市監督
  母親と死別した中年の男に40日間監禁された17歳の女子高生が、その後、催眠療法でその40日間を語る話。
 録音された自分の声を自分の声とはおもわないところあたりから女子高生は乖離をはじめたように思える。 女子高生はどれほどのストレスを感じていたかは分からない。 自由を奪われ、食事もいつ与えられるか分からず、たらいで排泄するような環境におかれることはかなりのストレスであると推測される。 しかし、病的な中年の素顔に切り込むことなく、女子高生の心理を描写することなく、単に性描写などに終わったところは残念な気がする。 この映画で、監禁は犯罪であるということを感じさせないところは、かなり危険な感じがする。

『完全なる飼育 赤い殺意 』 , 2005

 大沢樹生、佐野史郎、伊東美華、石橋蓮司出演、若松孝二監督
 夫の殺害と引き換えに500万円を受け取る約束を女とし、夫を殺害するが近所の住民に殺害現場を見られてしまう。そして逃亡する羽目となる。 逃亡途中で怪我をし、ある民家に侵入するが、そこには言葉を話そうとしない女性がいた。後にその女性は中年の男から暴力を受け、監禁されていると判明する。
 特にこれといって特筆すべき事柄が無い。人里離れている民家に監禁されているかもしれないし、そこに偶然殺人犯が立ち寄ることもあるかもしれない。 そういう現代日本になってしまったように思う。かといって、事件が事件として発覚し、解決しないことは精神衛生上よくないかもしれない。  

『完全なる飼育 女理髪師の恋』 , 2003

 北村一輝、荻野目慶子、林泰文、佐藤二朗、中澤寛、竹中直人出演、小林政広監督
 男が理髪店の理容師の女性を拉致し、監禁する。それから、どういうわけか、男女の中になる。
 郵便配達をしている時にその女性に恋をするが、突然その女性が店をやめて別の男と結婚をする。 女性を探すために仕事をやめ、そしてついにその女性が働く理髪店を見つけ出し、ある晩に誘拐する。 女性を探すという行為は理解することはできるが、誘拐して監禁する心理が理解できない。 また、女性はすでに結婚しているのだが、簡単に誘拐されたことも忘れて監禁した男と仲良くなる神経もなんだかわからない。 さらに、身を隠している身分であるが、変装もせず安易に外出をしてショッピングスーパーへ買い物に行く心理もわからない。 この映画は、リアリティが無く、興味を引くストーリーではない。

『完全なる飼育 秘密の地下室』 , 2003

 山本太郎、しらたひさこ、加藤治子、竹中直人、広岡由里子、松山ケンイチ出演、水谷俊之監督
 ある晩彼氏に殴られ、公園のごみの中に倒れていた少女を連れ去り、自宅へ監禁した男とその少女の物語。
 少女を見つけたときに、救急車、警察を呼ぶなどの対応をすべきであるように思える。最初の監禁の動機が分かりづらい。 当然、逮捕監禁、未成年者略取の罪になるように思う。 やけになっていたとはいえ、自ら売春をする女に、監禁された後に恥じらいや汚れという概念があるようには感じられない。 やはり、身体的な自由がほしいということなのだろうか。 また、変に理解があったり、感情を爆発させたりして感情表現がむちゃくちゃな感じがする。 過去に心的な問題があったから、監禁事件を起こすということは、なんら正当な理由にはならないと思う。 さらに、話が変な方向へ行くところが、意味が分からない。精神病患者を治療する話なのかと疑問に思う。

『間諜最後の日』 Secret Agent, 1935

 マデリーン・キャロル、ジョン・ギールグッド、ペーター・ローレ、ロバート・ヤング出演、アルフレッド・ヒッチコック監督
 ドイツのスパイを暗殺するためにスイスへ派遣された男二人と女1人が任務を遂行するためにドイツのスパイを探索する。
 スリルは無い。特徴的な音楽も無い。ある人間がスパイであるが、それほど以外であるわけではない。 将軍と呼ばれているイギリスのスパイの人物像が、怪しげで信用できないようなスパイの雰囲気を醸し出している。 また、主人の死を飼い犬に表現させている点は良い。

『崖の上のポニョ』 , 2008

 アニメーション
 内容的に良いのかどうか判断が厳しい感じがする。子供向けなのか、大人向けなのか対象がどこへ向いているのか分からない。 キャラクター設定やストーリーに違和感があり、純粋にもっとストレートな内容のほうがすっきりした印象になると思う。
 日本のような季節感がある作品ではない。つかみ所の無い雰囲気が漂っている。

『ガジュマル 榕樹の丘へ』 , 1997

 中国映画
 社会の中で「老人」が意識され、隔離されて生きなければならないのだろうか。 老人同士で集まって生きていく。老人達だけで集まって生きていくことが正しいことなのだろうか。 老いて一人で生きることの辛さ、厳しさ、さびしさをひしひしと感じる。 主体的に人生、老いを生きられなくなっている。老いることで視野、世界が狭くなっている。 生活の場が、行動範囲が狭まっている。連ドラを気にして見ている事がそのことを象徴しているように思う。 娘の「名前」を聞くことによってその人物を認知しようとする。料理を教えることで関係が好転していることを示している。 老いや家族などテーマがとても広くなっているように感じる。

『ガス燈』 Gaslight, 1944

 シャルル・ボワイエ、イングリッド・バーグマン、ジョゼフ・コットン出演、ジョージ・キューカー監督
 叔母の死後、ポーラはイタリアで音楽の勉強をしていたが、そこで知り合った男と結婚をする。しかし、新居となったのはかつて叔母が殺害されたロンドンの屋敷であった。 その屋敷で奇妙なことがおき、ポーラは混乱するが、未解決の殺人事件が解決へと進む。
 ポーラを病気に仕立てようとするときの夫の憎たらしい表情がとてもよくあらわされている。また、最後の乞いをするときは全く別の表情をしている点がよい。 その夫に対して、ポーラはあてつけに病気を装い夫を叱咤するシーンもそれまでのポーラの弱々しい感じの様子と全く変わって対照的である。 ポーラ役のイングリッド・バーグマンは上品であってとてもきれいである。

『ガッジョ・ディーロ』 Gadjo Dilo, 1997

 ロマン・デュリス、ローナ・ハートナー、イシドール・サーバン出演、トニー・ガトリブ監督
 フランス、ルーマニア映画
 フランス人の青年が、父親が聴いていたという歌の主をを探すために旅をする。 ロマという村にたどり着き、そこで一人の老人と出会う。何かをわめき散らしている老人に酒を勧められ、彼は断れず酒を飲み彼の家で一晩を明かすことになる。 老人は、収監されている息子の代わりだと思い、彼を村に引き止める。 彼は村にとどまりジプシーたちと交流を深めていくにつれ、ジプシーたちと心を通わせ、彼らを音としてテープに残そうとする。 後に、老人の息子が戻り、酒場で人を殺してしまう。村人はその息子と彼の家を焼き払ってしまう。ジプシーは追い払われ、残されたのはテープだった。 彼はそのテープを壊し土に埋めるのだった。テープではなく、彼のそばには心と体を通わせたジプシーの女がいる。
 物や人の想いではなく、現実にいる人との心の通い合いが大切なのだろう。

『硝子の塔』 SLIVER, 1993

 シャロン・ストーン、ウィリアム・ボールドウィン出演、フィリップ・ノイス監督
 一番気になるのが、転居してきた女性の挙動であろう。 何を考えて行動しているのか理解できない。 主体的に一貫性を持って言動をしているようには到底思えない。 意思が伝わってこないというか、何も考えていない、場当たり的な行動をしている。 ビルのオーナーの変質者に対する接し方とか、ベストセラー作家に対する接し方、 隣の住人に対する接し方など何がしたいのかどうしたいのかほとほと理解に苦しむシーンが多々ある。 最後のシーンも何がしたいのか意味がわからない。盗撮されていたことへの怒りなのか、 殺人者への報いなのか、騙されたことへの復讐なのか、行動の意味が分からない。 ビルのオーナーはマザコンなのか、盗視癖、窃視症の持ち主なのかはわからないが、 どういった経緯があるのかわかりかねる部分がある。 ビルの構造的にもあれほどの大掛かりなものを作ってどこからもうわさが出ない所もまたすごい。


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