-映画の感想-

☆英語で書いた感想へ In English

映画の感想

ア行   ケ コ サ行 タ行 ナ行  ハ行 マ行 ヤ行 ラ行  ワ行

『黄色いリボン』 She Wore a Yellow Ribbon, 1949

 ジョン・ウェイン、ジョアン・ドルー、ジョン・エイガー、ベン・ジョンソン出演、ジョン・フォード監督
 ネイティブアメリカンとの戦いで勇敢にそして正等に立ち向かう大尉が退役を迎えようとするまでのストーリーである。
 ネイティブアメリカンを倒すことが必ずしも正義とはいえないのだが、まっとうに戦おうとする姿勢の映画である。 姑息な手段ではなく、正々堂々と戦う。そこに知恵や作戦があり、負傷者を出さないように気を使う。 男女の恋愛もあり、気骨さもあり見ていて不快感がない映画である。気持ちよく見られる。

『帰郷』 COMING HOME, 1978

 ジェーン・フォンダ、ジョン・ヴォイトジョン・ヴォイト、ブルース・ダーン出演、ハル・アシュビー監督
 自分の行為を正当化しようとする。そのために理由をつけて自分を納得させようとする。 そうでないと自分の「今」の境遇が惨め過ぎるからである。 戦争はそのように思わないとやりきれないほどのひどい状態であったのだろう。
 車椅子でないと気づかない障害や人の意識がある。自分の意識も身体についていってない。 動かなくなった両足を認めるには時間がかかる。 理想と現実とのギャップに苦しむ。両方を知ってはじめてその差に気がつく。 その差の間で、自分がどっちに行くのが良いのかで苦しむ。
 人それぞれの思いと時間がすれ違いを作り出す。戦争に行ったという体験を持った二人の男が 一人の女性の間で揺れ動く。彼らは戦争に打ちのめされた男達だった。 そういうボブとルークが二人で話すシーンには、二人が話すときの「間」がなんとも言えない気まずさがある。 自分の気持ちをはっきりと表せずに、言いたいのに言えないというばつの悪さをうまく表している。 ボブが軍服を脱いで裸で海に入るシーンはいろいろなことをあらわしていると思う。 軍服を「脱ぐ」という行為は、軍から抜け出すということを連想させるし、 彼が「脱皮」するというふうに見て取れるだろう。「裸」になるということは、今までの自分を「リセット」して初めからやり直そうとしているようである。 海は、生命の「源」で海に入るということはそこでエネルギーを得ようとしているように感じる。 彼らにとって自分達が戦争の英雄ではなく、犠牲者であるということを認めるには酷過ぎるだろう。

『危険がいっぱい』 The Love Cage, 1964

 アラン・ドロン、ジェーン・フォンダ、ローラ・オルブライト、アンドレ・オウマンスキー出演、ルネ・クレマン監督
 フランス映画
 ある女と寝たことから、組織に殺されかける。逃げているところで、ある未亡人の運転手として働くことになる。 屋敷に住み込むことになるが、そこには未亡人の従姉もお手伝いとして暮らしていた。 未亡人は、年を取っていた夫を殺した若い男を屋敷の中でかくまっていた。 未亡人は運転手を殺し、運転手のパスポートでその若い男と逃げる計画を立てていたが、策略により若い男と共に殺されてしまう。 そこで運転手は自由になれると思ったが・・・。
 愛があり、その表現として誰かを殺したり、相手を閉じ込めて独り占めにしたりする。歪んだ愛情を表現している。 主人公は女にもてるのだが、いまいち、一貫性がないというかどんな目的を持って行動しているのか分かりづらい感じがする。

『傷だらけのランナー』 ACROSS THE TRACKS, 1990

 ブラッド・ピット、リッキー・シュローダー、キャリー・スノッドグレス出演、サンディ・タン監督
 800メートル走の競技を通じて兄弟の絆を深める。 大会で優勝して大学の奨学金を得ようとする兄と、少年院から戻ってきて高校の陸上部へ入部した弟が同じ800メートル走を走ることになったが、 兄は弟の速さに嫉妬し、素直に弟の速さを喜ぶことができずにいる。 兄はずっと勝つことを要求されて育ち、それを成し遂げてきたが、窃盗などをしてきた弟に急に競技で負かされてしまう。 人一倍努力もしプライドを持っていたが、弟に負けたことで自暴自棄になってしまう。 一度はレース自体を棄権しようとした兄だが、レースに出場する決意をする。
 ストーリー自体はよくある話しであるが、兄という責任とプライドにつぶされずにどのように克服し、自分にとってプラスになるようにしていくかということであろう。 才能や能力というものは自分の努力のみであるものではない。目標を持って優等生でやってきた兄にとっては、弟の存在は一度は脅威と映ったのだろう。 存在そのものは一緒なのだが、そこにいろいろな感情が沸き起こり、対象への心情の変化が読み取れる。

『奇跡が降る街』 29th STREET, 1992

 ダニー・アイエロ、アンソニー・ラパグリア出演、ジョージ・キャロ監督・脚本
 人にはお金よりも大切なものがある。可能性よりも現実の幸福を願う。 自分の幸せよりも、他者の幸せを願う。自分にとっての幸せを実行する。自分だけの幸せと自分を含めた人間達の幸せを望む。 他者よりも、自分の家族の事を優先させる。 普段はお互いに全く無関心でどうでも良いような感じで振舞っているが、 そこはやはり家族であって何かといろいろと考えを秘めている。 前半部分のいいかげんさと、後半部分のシリアスさのギャップがいい。

『奇跡の海』 Breaking the waves, 1996

 エミリー・ワトソン、ステラン・スカルスゲールド出演、ラース・フォン・トリアー監督・脚本
 画面(カメラ)の切り替えが速くなっていて、状況の進展を表現している。
 一人の女性は、自分の意識上で超自我、自我、イドを理解しているような行動をとる。 教会が彼女を縛っているように感じる。彼女を救うのが目的である教会が、彼女を死へと導いているように感じる。 彼女を破滅へと運んでいるように思える。教会中心の生活。女という罪。平等ではない教会。
 愛=性交という構図は私は好きではない。精交:精神的な交わりを大切にすることを求めたい。 そこに、肉体以上の何かがあるように私は感じる。

『北の零年』 YEAR ONE IN THE NORTH, 2004

 吉永小百合、渡辺謙、豊川悦司、柳葉敏郎、石原さとみ、石田ゆり子、香川照之出演、行定勲監督
 幕末、淡路から北海道へ移住を命じられ、何も無いところから生活の場を作ろうと辛い日々をおくった武士たちが明治維新により翻弄される。
 母は強しという印象が残る。良くも悪くも武士であり、時代の流れに乗れないで苦悩する人々を描いている。 時代に裏切られ、食うことにも困り、「哀れ」という言葉が当てはまる困窮ぶりである。 そういう状況下で人を信じて待つ者もいれば、強い者にまかれる者もいる。 いつの時代でも、社会が変わっても信念を持って耐え忍んでいく者と、社会が変わればその状況により柔軟に対応できるものが生き残っていくように思える。 しかし、そこには正義が必要なように思う。
 荒野で生活をしてきた手と役人の手は驚くほど違っていたというところがとても寂しい。しかし、荒れた手を恥じる女はとても日本的な気がする。 また、禄を食む人間には田畑を耕すことができなかったという言葉が、残酷だがある意味正直さを表しているように思う。

『きっと忘れない』 With Honors, 1994

 ジョー・ペシ、ブレンダン・フレイザー、モイラ・ケリ、パトリック・デンプシー、ジョシュ・ハミルトン出演、アレック・ケシシアン監督
 fact 人生においてそれは事実であるから。死亡記事において心情を除き、事実のみを記す。そこには殺風景な情景しかない。 とてもさびしい、ひどいものである。しかし、そこに心情を加えると人間らしくなる。 本という過去の産物や人の意見を取りいれるより、自分自身の独自性のほうが重要である。 自分自身の判断基準や価値観により自分の意見として主張する。そこには自分が存在する。 また、自己の嫌悪の延長線上の人間を見るのを嫌う。自分の嫌な部分を表している人間の存在が目障りである。 嫌悪を取り除くには、自分自身を変え、認知を変えなければならない。それに面と向かうことには勇気がいる。 しかし、立ち向かわなければ克服できない。 自分という人間としての本質を見出すことができるような映画である。

『キッド』 THE KID, 2000

 ブルース・ウィリス、スペンサー・ブレスリン、エミリー・モーティマー出演、ジョン・タートルトーブ監督
 8歳の子供がエイミーにプロポーズするところから本筋が始まるのかと思ったが、もっと別なことが起こる。 人生において、経験者の助言が真実味を帯びるのなら、とても有益であるし、誰もがやり直すことができる。 それを警句的に表現しているのなら映画としていいのかもしれない。 しかし、そのようなことは絶対にありえないし、あったらいけないことと思われる。 未来志向として、なんでも一生懸命にやるとか、くじけないでいこうということを表現しているのならよいと思う。 なお、子どもが見たらどのように感じるのであろうか。 決まったレール、または、結果がわかっている将来に果たして魅力や夢が持てるのであろうか。

『機動警察パトレイバー 劇場版』, 1989

 声:冨永みーな、古川登志夫、押井 守監督
 アニメーション
 コンピュウータウィルスによる巨大プロジェクトの破壊を狙いOSを作成したプログラマーの陰謀を食い止めるために捜査をする。
 ある時期から関連性のある事件が多発し、それを解明しようといろいろなデータを集め、仮説を立て解決しようとする。 結構マニアックな話題であるが、可能性としては捨てきれないリスクを描いている。 汎用人間型作業機械:レイバー(ロボット)が動く映画というより、後発のメーカーが市場の独占を目指したところの緩みと弱さに漬け込まれたコンピュータ犯罪がストーリーのメインの映画である。  

『機動警察パトレイバー2 the Movie』, 1993

 声:冨永みーな、古川登志夫、押井 守監督
 横浜ベイブリッジに放たれた一発の爆撃が発端となり、自衛隊までもが出動する厳戒態勢となる。 警察と自衛隊が対立する体制となり混乱に拍車がかかる。政治的要求のないテロに翻弄されながらもかつての第二小隊が結集し首謀者を逮捕しようとする。
 汎用人間型作業機械:レイバー(ロボット)が動くという映画ではなく、与えられた情報と得た情報を整理しテロを解決するストーリーである。登場人物も限られてしまっている。

『機動戦士ガンダム』, 1981-1982

 T〜Vをまとめて、まず、人間以外の宇宙人が出てこないのがいい。 地球に住んでいる人から見ると、スペースコロニー(宇宙にある慣性重力をもたせた居住空間?)に住んでいる人たちを宇宙人とみなせるかも。 アニメーションを見るとき、キャラクターがいいとか、ストーリーがいいとか、 登場人物の設定が自分とは全くかけ離れている、非現実的で夢がある、 または、自分の心情、境遇とダブっているということが良いとかいろいろあるが、このシリーズで良いと思うのは、 人間を捉えるある種の概念であったり、人間が人間として生きている中での可能性に期待しようとする考え方である。 過度に自虐的だったり、逆に美化するということではなく、 人間が持っているかもしれない、ささいな能力を信じるという現実路線から逸脱していないコンセプトである。 的確な現状認知能力と、鋭敏な洞察力を持つ人。人間が持つ能力の拡大、人としての革新をもとめているような 方向性とその世界観が良いと思う。

『機動戦士ガンダム F91』, 1991

   気高い精神を持った人間が 増えすぎ、居住空間を圧迫、汚染する大衆を 粛清しようとする。 意識や行為をつかさどる主体としての自分を 強く押し出し、全体的な時間の流れを無視し、 資源や物質的な供給能力を考えない大衆を 現実に手を汚さずに消し去ろうとする。 人格や作用の中枢としての認識力、洞察力を 強化し、肉体でも精神でもコントロールできる武器を操る。 人工的に操作された能力よりも 本来備わっている能力の開花のほうが優り、それを凌駕する。

『騎兵隊』 THE HORSE SOLDIERS, 1959

 ジョン・ウェイン、ウィリアム・ホールデン、コンスタンス・タワーズ出演、ジョン・フォード監督
 舞台は南北戦争、北軍のマーロー大佐は、南軍の補給を断つためニュートン駅を壊滅する目的をもって行軍する。 途中南部の屋敷の前の森で野営をしたときに、屋敷の女性に食事の招待を受ける。 食事後の会議で進軍の工程をその女性に盗み聞きされてしまいやむなく女性を連れて行くことになる。 最初のうちは、女性は逃げ出そうとしたり苦言を呈するが、軍医とともに負傷兵の手当てをする間に、次第に北軍になじむようになる。
 背後から北軍に追い詰められ、橋を渡るために対岸の北軍を倒す戦闘で大佐は女性と別れることになるところが、この映画のよい余韻を残す場面だと思う。 味方同士でも、気に食わず敵対意識を持っていたが、最後には和解をする広い心意気もこの映画には含まれている。

『君がいた永遠(とき)』 , 1999

 金城武出演
 香港映画
 過去の恋愛を綴る映画である。自分の体験ということを隠し、過去の恋愛を映画の脚本にする。
 恋は盲目とか、若気の至りとかいうが、基本的には男女が恋愛をして、成長する。 同性愛の問題も絡め、男女の恋愛を描く。 ストーリーとしては、それほど珍しくも無い。特別に映画とする話でもない気がする。 基本的には、思春期以降、恋愛は多かれ少なかれ誰でもするものであろう。 恋愛の数だけ、それぞれのストーリがあるのは当然である。未成年の性であったり、不倫であったり、それ以上に道徳的な問題があろうとも、 男と女がいる限り、恋愛は必然的なことであると思う。

『君がいた夏』 Stealing home, 1988

 マーク・ハーモン、ジョディ・フォスター出演、スティーブン・カンプマン、ウィル・アルディス監督・脚本
 姉の死をきっかけに過去を思い出しながら、時間が進んでゆく。 現在の惨めな状況においてすばらしき過去を思い出すほど悲しいことはない。 過去の余韻に浸れば浸るだけ今の自分を落とすことになる。 過去の思い出を回想して彼は何を感じたのだろうか。 過去の自分や環境と今の自分やその周りの環境を見比べる。 圧倒的に過去の記憶の中の自分の方が良い。姉の死をきっかけに彼は何を思うのだろうか。 何かの意味を見出せたのであろうか。
 人それぞれにとってそれぞれ重要なものがある。それを見つけるのが彼の役目だったのだろう。

『君にメロメロ』 THE FAVOR, 1994

 ブラッド・ピット出演
 強烈に残っている印象は「寛容」であるということだ。 そこまで寛容になれるにはどうすれば良いのだろうかと疑問に思う。 自分の自由でやりたいことをしたとしてもそれには制限があるものだ。 また、自分が良ければそれで良いというものではなく、結婚しているというのなら相手に対して責任を負うべきである。 自分は結果として何もしていないのかもしれないが、それは結果であって意図的に行為をしなかったわけではない。 結果が無かったからといって済まされるものではない。少なくとも感情的に他者を不幸にしていることになるからだ。 何をするにしても節度ある態度をもって望むべきであろう。
 日常の生活に対して特に感じることがないことはむしろ幸せということであろう。 幸せということはそれほど意識できるものではない。 日常の生活に何か物足りなさを感じている。非日常的なことを想像すればそれがとても魅力的なものに感じてしまう。 また、自分には関係無いような体験をしている人間をとてもうらやましく感じてしまう。 マンネリした生活から抜け出すために非日常的なことにあこがれてしまう。 しかし、日常の生活が平常に行われているということが根底にあって初めて非日常的ということが想像される。 日常的なことが当たり前のようにあるということはそれだけで本当は幸せなことである。 日常と想像する非日常の生活の間で葛藤する。日常から非日常へと足を踏み入っていいか悩む。 今の自分が嫌なのではない。しかし、平凡な生活の中で何かの刺激がほしいと感じている。 生きているという高揚感をどこかで感じていたいと思っている。 普段の生活では感じられない興奮を感じていたいと思っている。 そのために何かを犠牲にしてこれまで生きてきた過程を台無しにしてしまうことにもなりうる。 人間の意地なのか嫉妬なのか、複雑な心情がある。

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』 Catch Me If You Can, 2002

 トム・ハンクス、レオナルド・ディカプリオ、クリストファー・ウォーケン、マーティン・シーン出演、スティーブン・スピルバーグ監督
 嘘に嘘を重ねる。権威や制服によって人が自らだまされに来るようである。堂々としていることでいっそう制服や権威が引き立つ。 嘘をついて、だますには、まず自分が相手を信じようとすることである。 そうすると、相手もその信頼に応えようとする。 嘘をつくことにより、自分が遠くなる。物理的な距離は近くとも自分の家族との距離が大きくなる。 本当のことをしようとすると嘘が足かせとなる。本当の気持ちであっても嘘が引き裂いてしまう。 嘘に嘘を塗り重ねるに度に安住に地が遠ざかる。 虚像の自分は虚像であって、本当の自分ではない。 本当の自分であれた時に、ずっと以前に失った家族の愛を自分の家族として得ることができる。 swear(誓う)とlie(嘘をつく)の言葉が印象に残る。

『キャット・バルー』 Cat Ballou, 1965

 ジェーン・フォンダ、リー・マービン、マイケル・カラン、 ドゥエイン・ヒックマン出演、エリオット・シルヴァースタイン監督
 教職につくためにキャサリンは故郷へ列車で向かう。彼女は保安官に護送されている男を場当たり的ながら助けてしまう。 その男と助けに来た叔父はそれぞれ列車から飛び降りて逃げてしまう。 故郷には父親と雇い人が出迎えてくれたが、牧場はすさんでいた。 待ちの実力者は利権がらみで父親を牧場から追い出そうとして嫌がらせをしていた。また、父親を殺す為に、殺し屋を雇っていた。 なお、列車で助けた男とその叔父に偶然パーティで出会い、家に泊めることにした。 父を案じ、キャサリンは殺し屋と対決させる為に助っ人を雇うが、助っ人に来た男は飲んだ暮れでとても役に立ちそうもなかった。 後に、父が殺され、キャサリンは復讐を誓う。
 軽いテンポで全体的に進んでいく。コミカルな感じでサクサクと展開する。 聖書の中に救いがあるというのは、この映画の中では本当である。

『9ヶ月』 Nine Months, 1995

 彼女の妊娠がわかってから別居、結婚、出産するまでを描いている。 妻が産気づいてからはどたばた喜劇である。 産科の医者も含めてばかばかしいことを出産中にしている。
 妊娠するかしないかを考えてから避妊をするなりする必要があるように思う。 妊娠してしまってから避妊の確率などを考えるのはナンセンスだろう。 妊娠に関しては過程はどうであれ、結果が一番大事であろう。 妊娠に対する女性の思惑と、男性の思惑がある。それぞれの考え方による立場がある。 自分の思い通りになるわけではなく、胎児は成長する。 胎児が成長している間に、夫婦が思い悩むのはよくないことであろう。

『キューティ・ブロンド』 LEGALLY BLONDE, 2001

 リース・ウィザースプーン、ルーク・ウィルソン、セルマ・ブレア、マシュー・デイヴィス出演、ロバート・ルケティック監督
 将来は議員になるつもりである恋人に、ブロンドの妻は合わないという理由で、プロポーズではなく、別れ話をされたことでロー・スクールを目指すストーリーである。
 自分のペースでいろいろな問題を解決し、裁判でも勝ってしまう。主人公はとても前向き、積極的で、行動力がある。とてもプラス思考である。 こういう映画はとても楽しいと思う。

『キューティ・ブロンド ハッピーMAX』 LEGALLY BLONDE 2, 2003

 リーズ・ウィザースプーン、サリー・フィールド、ルーク・ウィルソン出演、チャールズ・ハーマン=ワームフェルド監督
 対照で構成されている部分が多い。職業と性格やファッション。犬の大きさなど。 正義と法律は異なり、自分の主張を実行するために法案を提出し、成立させようとする。 自分の主張を実行するために、積極的に行動する行動力やバイタリティはすごいものがある。 また、自分のやり方を貫いたり、人間関係を構築して、人に助けてもらいながら実現させようとする。 自然に助けてもらえるような人間関係をすんなり作れる性格はとてもよい。 変身したり、見た目とのギャップが見るものを引き付ける。 事の発端の母犬がよく見つかったなぁと疑問が残るところではあるが、それほど嫌味っぽくなくすっきりした映画である。

『救命艇』 LIFEBOAT, 1943

 タルーラ・バンクヘッド、ウィリアム・ベンディックス、ウォルター・スレザック出演、ジョン・スタインベック原作、アルフレッド・ヒッチコック監督
 Uボートの攻撃により乗っていた船が沈没した。難を逃れ救命艇に乗り込んだのは、ナチの捕虜、母子、負傷者、黒人、そのほか男女達だった。 母子の子が死に、それを知った発狂した母が夜のうちに海に身を投げ、負傷した男が飢えと乾きにより、想いを寄せる女性のことを考えながら海に沈み、 助けられ食料を与えられていた捕虜の裏切りを知り、暴徒と化したその他の男女により殺される。 やがてナチの補給艦に遭遇し、救出されるかと思うと、連合軍が補給艦を砲撃し、自分達の救命艇も沈没するかと思われた。 間一髪で難を逃れ連合軍の救出を待つが、そこにナチの兵士が救命艇に助けを求めて這い上がる。 もう一度応急処置を施そうとするが、別の男女は反対する。反対をしているときに兵士が拳銃を向ける。 拳銃を取り上げ、応急処置をするが、そこの救命艇という空間では、生きること、死ぬこと、助けること、助けられること、裏切ること、裏切られることが交錯し、 何が最善の行動かがわからなくなる。 捕虜をめぐり最初は意見の一致を見なかったところから、捕虜の知識や行動力により、捕虜を信頼するが、裏切られたところから怒りを覚える。 別の捕虜を助けたことから、またそこにいる男女の心情が揺れる。

『嫌われ松子の一生』 MEMORIES OF MATSUKO, 2006

 中谷美紀、瑛太、伊勢谷友介、香川照之、市川実日子、黒沢あすか出演、中島哲也監督
 教師からソープ譲、殺人者など人生を転がり落ちていく様子をコミカルに描く。
 悲劇の人生をコミカルに描くことで、悲しみが倍増するかといえば、単に悲しみを弱めているようである。 構成は面白みがある映画である。セリフの重みがあまり伝わってこなく、見終わった時に感動するような映画ではない。 ひどくシリアスなシーンがあっても、良いのではないかと思う。 見飽きることもないが、登場人物の人物像にそれほど感情移入することもない。 映像の色合いや明暗などはよい感じが出ている。  

『キング・コング』 King Kong, 1933

 フェイ・レイ、ロバート・アームストロング、ブルース・キャボット、フランク・ライヘル、サム・ハーディ出演、メリアン・C・クーパー監督
 当時の特撮としては素晴らしいものであっただろう。 なお、未知の土地に対する憧れや希望があり、 そこには予想だにしない物や生物、原住民が存在し、 現在の生活からはかけ離れていると想像してもおかしくない時代であった。 加古に対する憧れという事もあるが、現在や未来に対する未知の可能性に対する憧れもあり、この映画が後者であろう。 大きなものと小さなものを対比する事で、または、大きなものを小さく見せる事で さらに大きなものを表現しようとしている。

『禁じられた遊び』 Jeux Interdits, 1952

 ブリジッド・フォッセー ジョルジュ・プージュリー出演、ルネ・クレマン監督
 フランス映画
 ドイツ機の爆撃により両親を失った女の子が農家に一時的に預かられる。農家にいる少年と仲良くなり、死に直面したことで宗教的な事柄に興味を示す。
 戦争の犠牲者や、子どものはかなく引き裂かれた恋心を描いたというよりは、宗教心の脆さを感じさせる映画である。 宗教は秩序があるときに初めて成り立つもののように感じる。 祈りの言葉を知っている人間や、言葉に出してお祈りをしていれば宗教的に徳があるのかと疑問に思えてしまう。 子どもは故意ではなくてもとても残酷で、無秩序であると感じられる。宗教によって育てられるのではなく、しつけによって育てられるものだと思う。

『キンダガートン・コップ』 KINDERGATEN COP, 1990

 アーノルド・シュワルツェネッガー、ペネロープ・アン・ミラー出演、アイヴァン・ライトマン監督
 ユーモアのある映画である。撃ち合いも殺し合いもあまりなく、アクションもない。 ただ、保育士にふんする警察官が独自性のある授業運営をする。無法地帯で騒ぎまくる子どもたちをだんだんしつけていく過程が心地よい。 その間に相棒の女性は結婚相手を見つけてくる。保育士をやっている当人も、同僚で児童の母親の女性に恋をする。 屈折した親の愛情表現から子どもたちを守ろうと、彼は警察官としても保育士としても奮闘する。 撃ち合いで負傷しても、車に体当たりされてもあまり痛々しさを感じないで見ていられるのは逆に怖いと思う。 アクションなのか、警察ものなのか全くわからなくなるようなコメディである。 なんだか、消化不良を起こしそうで煮え切らないような余韻を残す。 コメディであって、テンポのよい恋愛も成立するストーリーである。 なんだか、納得のいかない中途半端ですっきりとしない感じが残る。

『禁断の木の実』 Le Fruit defendu, 1952

 フェルナンデル、フランソワーズ・アルヌール、クロード・ノリエ出演、アンリ・ヴェルヌイユ監督
 フランス映画
 まっとうに生きてきたが、一人の娘によって自分の人生が揺らいでしまう。 これまで果たせなかった自分の憧憬と娘の若さと開放的な魅力を重ね合わせてしまう。 対等な関係ではない娘によって、妻からでは得られない満足感、幸福感を得ることができる。 分かり合えるような愛情ではなく、嵌ってのめりこんだ、一時の気の迷いであった。 それは時とともに必ず急激に色あせてしまうような関係であった。 嫉妬したり、主従関係など征服したい、束縛したい、所有したいという欲求と男の幻想がうまく描かれている。

『ギフト』 The Gift, 2000

 ケイト・ブランシェット、ジョバンニ・リビージ、キアヌ・リーブス出演、サム・ライミ監督
 アニーのやさしく微笑む時の表情や相手の気持ちに同意する時の表情がとても感情を表していてよい。 暴力を振るわれている者や、幼児期に性的虐待を受けた者のぐるぐると同じところを回っているような思考、 行動がわかる。誰かの助言やきっかけによってその螺旋的な回路がゆっくりと修正されるのだろう。 その役割として占いという合理的な根拠が無いものが使われている。 ある事象には、性質による原因の結果があり、結果による性質の原因がある。 結果と原因があり、その間に人間の気質が挟まっているような感じがある。
 ストーリーはある程度意外性があることが当然となっているので特に問題は無い。 霊感などを全く否定するのであればつまらないものかもしれない。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』 Gangs of New York, 2002

 レオナルド・ディカプリオ、キャメロン・ディアス出演、マーティン・スコセッシ監督
 19世紀の半ば、幼少時代に父親の復習と遂げるために、青年になった男が敵の組織に入る。そこで名を上げ、敵から信頼を得るが・・・。
 何を言いたいのかが不明な映画である。この映画で何をしたかったのかが全くわからない。とりあえず、ディカプリオとキャメロン・ディアスを出演させたということだけなのだろうか。 または、政治的、黒人差別、歴史的な主張があったのだろうか。かなり不完全燃焼という印象が残る映画である。 キャメロン・ディアスがもっとエロティックになるのか、または、ディカプリオがストイックに硬派を貫くのか、とりあえず特徴的な要素が望まれる映画である。 南北戦争の黒人奴隷の悲劇を描きたかったのか、未開拓時代の人民の無法ぶりを描きたかったのかよくわからない。 とりあえず、格好がいいという映画ではない。

『ギルダ』 Gilda, 1946

 リタ・ヘイワース、グレン・フォード、ジョージ・マクレディ、ジョゼフ・キャレイア出演、チャールズ・ヴィダー監督
 愛し合っているが同時に憎み合っている男女が結ばれるまでを描く。
 女は失恋の痛手から出会ってすぐのカジノを経営している男と結婚をしてしまうが、その男の右腕となった男は失恋した相手であった。 その男女は愛し合っているがそれ以上に互いに憎み合っていた。形式的な夫婦を横目に右腕の男は女の行動を見張り、夫へつじつまを合わせて遊び歩く女を迎えに行ったりする。 女はあてつけにいろいろな男と遊び歩くが、そのことが彼の憎しみを増大させる。嫉妬以上に憎しみが増えていく。 夫はカジノ経営の裏で、あるトラストの会長でもあった。ある時、刑事の目を欺くために偽装自殺を図り姿をくらましてしまう。 偽装自殺を知らない男と女は結婚をしそのカジノとトラストの会長を引き継ぐが、刑事の目は今度はその男に向く。 男は部下に女を監視させ、遊び歩いてもことごとく邪魔をさせ自由を奪っていく。男は刑事の姿が気になりだんだんと衰弱する。 男女は互いに追い詰められ全てを捨てて新たな旅立ちをしようとするが。  リタ・ヘイワースはなかなか魅力的に映っている。顔のアップが多用されていたり、男女のシルエットだけが映っていたりして直接的に表現していない映像がいい。

『ギルバート・グレイプ』 WHAT'S EATING GILBERT GRAPE, 1993

 ジョニー・テップ、ジュリエット・ルイス、レオナルド・ディカプリオ、ジュリエット・ルイス出演
 いままでいろいろな事柄を抱え込んでいたが、"We can go anywhere." と行って、旅立つ。 一家を支える兄として、自殺した父親の代わりの役割を果たしていた。 いままでは、どこへも行けないと思っていたし、そういうことになるとも思っていなかった。 父親の死によって過食症になった母親を心のどこかで恥じていた。 母親の状態をどこか馬鹿にしていた。知的障害を持つ弟の面倒を見て、 妹との関係もギクシャクしている。そうであっても、自分の感情を持っていないような、何も感じていないように暮らしている。 町を出ることになるなどとは全く考えていなかった。
 母親が死んで家をある理由で焼くシーンがある。炎が家を包んでいく。 火は何もかも燃やしていくが、そこから何かが始まることがある。破壊や消失から、「再生」する。 今まで知らず知らずにとらわれたいた足枷から解放された様子が描かれている。 家は帰る場所を示すものだが、家にとらわれてしまうとそれは人を押さえつけてしまう。 家によって抑圧された物をいつかどこかで吐き出さなくてはならなくなる。 彼にとってそのはけ口が、配達を頼まれる女性との関係であったのかもしれない。 家によって幸福になることもあるが、家によって縛られて自分が表現できなくなることもある。
 ディカプリオの表情や、指はよく動いていたがそれは特徴を捉えていたのかはよくわからない。


home page