-映画の感想--

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映画の感想

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『マーヴェリック』 Maverick, 1994

 メル・ギブソン、ジョディ・フォスター、ジェームズ・ガーナー、グラハム・グリーン、アルフレッド・モリーナ出演、リチャード・ドナー監督
 西部開拓時代、ポーカー大会に出場するために、マーヴェリック(メル・ギブソン)がお金を調達しながら目的地へと進む。 道中、癖のある人間たちとかかわりながら出場金をなんとか集めポーカー大会へ出場する。 騙し合いの騙し合いでストーリーが展開する。最後の展開は面白い。アナベル(ジョディ・フォスター)が紅一点でとてもいい役柄となっている。 また、いろんな意味で一番のやり手かもしれない。

『マイケル・コリンズ』 MICHEAL COLLINS, 1996

 リアム・ニーソン、 ジュリア・ロバーツ、エイダン・クイン出演、ニール・ジョーダン監督
 アイルランド独立に尽力を尽くした男の物語である。"ignoral"(無視), "refusal"(拒絶)をすることによって イギリス政府から独立を果たそうとする。自分たちの自由(freedom)を求めて人力を尽くす。 命と引き換えに自分たちの独立国家を作ろうとする。有志を募り、暗殺をしたり危険を犯す。
 大義を阻む無意味な力が育つことはとても残念に思う。人の意思は同時代の人間たちにしか伝わらないのかと悲しく思う。 世代が違えば、とても大切な意義が人の心に届かないのかと悲嘆に沈む。 大義が存在しないところで、それを阻む精神的に無駄な力が勢力を持つということはとても恐ろしいことだと感じた。 時代の流れによる人の意思の色あせることの恐さを感じてしまう。

『マイ・ハート、マイ・ラブ』 PLAYING BY HEART, 1999

 ショーン・コネリー、マデリーン・ストー、アンジェリーナ・ジョリー、ライアン・フィリップ、ジーナ・ローランズ、デニス・クエイド出演、ウィラード・キャロル監督
 浮気や不倫やセフレなど、精神的な問題を度外視した関係のみがあるように思える。 個人の自由とフリーセックスが混同されているように感じる。肉体的に裏切ったり、精神的に裏切る。 同性愛の問題や、好きではないが結婚を望むから結婚して子どもを生む。 個人の自由が中心と、思いやりや節度が欠如された人間関係のように思える。いかにもアメリカ的で、個人的な主張が中心的な合理主義な感じがしてしまう。 結末がどうであれ、なんだかいたわりや友愛など適切な人間関係が崩壊しているように思える。

『マイ・フレンド・フォーエバー』 The Cure, 1995

 ブラッド・レンフロ、ジョセフ・マゼロ、アナベラ・シオラ出演、ピーター・ホートン監督
 二人の少年は孤立していたというところで共通する。
 エリックはクラスメイトと遊んだり、彼らに自分から仲間入りすることができずにいる。 母子家庭であり、母親が仕事で家にいないという現状がある。一緒に食事をする時間が持てない。 彼は、スーパーで買い物したときにデクスターの母親からキスされたように自分の母親にもそうしてもらいたいのかもしれない。 学校に対して、不適応が生じる。教室のいすをナイフで削って授業が終わるのを待っている。 学校の備品を壊す行動をとる。クラスメイトとの交流が乏しく、家ではテレビゲームなどの特定の遊びに没頭し、 現実の世界から逃避している。デクスターは、エイズという病気によって、社会的に阻害されている。 エリックと同じように、彼はコミュニケーション不足のように思える。
 旅行中、自分の手を切って血を出し、追いかけてきた男を追い払った場面で、 相手の男の表情がエイズに対する「社会の表情」をそのままあらわしていたように思う。
 この映画は「死」に対してかなりの意識が注がれている。 「死」に対して未だ経験したことがなく、その経験を死んだ当人から直接聞いて学んだこともない。 彼らにとっても「死」とは未知のものである。誰かの「死」に直面することができても、それは外側から見たものであり、 感じたものである。死が何かわからないし、それを経験して他者に自分で教えることもできない。 自分が死を感じるには、自分が死んだふりをして、他者の反応を見たり、他者が死んだのを第3者が見て感じているのを自分が感じ取るか、 自分で見て直接感じることしかできない。自分が死んでその自分の死を自分で感じることができない。 少年たちは遠くのことでありながら、とても近くに潜んでいるものを学ぼうとしていた。
 葬式のときに、左足の靴を交換したところは少年達の純粋さをあらわしている。 両者の母親の違いもまた対照的である。

『マイノリティ・リポート』 MINORITY REOPORT, 2002

 トム・クルーズ、コリン・ファレル、サマンサ・モートン出演、スティーブン・スピルバーグ監督
 セキュリティ管理のずさんさがよく分かる。アクセスコントロールが全然できていない。 犯罪者として扱われた時点で、アクセスできないように権限を変更しなければならないが、その変更ができていない。 もし、アクセス権限の見直しがされていたら、ストーリーが展開しない。それなら、アクセス権限は変更されたが、 ハッキングをしてアクセス権限を再変更してからストーリーが続くのならもっと全体的に現実味があるように思う。
 システム自体の有効性の評価や、効果の妥当性は正しく測定されているのだろうか。 また、遂行の結果の影響範囲やその度合いなどはどの程度正確に測定されているのだろう。 このシステムの実現可能な代替案、策はあるのだろうか。さらに、このシステムのライフサイクルはどれくらいと見積もり、 後続のシステムを開発、運用、保守をすることはできるのだろうか。
 なお、公共の場での本人特定するシステムのプライバシー保護などはどのように考えられているのだろうか。

『マグノリアの花たち』 Steel Magunolias, 1989

 ジュリア・ロバーツ、サリー・フィールド、ドリー・パートン、シャーリー・マクレーン、ダリル・ハンナ出演、ハーバート・ロス監督
 家族や同性としての愛情やいたわりがあらわれている。 糖尿病を患っている女性の結婚式の準備から出産、子どもを育てる人生を、彼女の母親の愛情や美容院に通う女性たちの心情を交えて描いている。 仲がいいのか悪いのかわからないような関係であり、歯に衣着せぬ言い方をするが、そこには妬みや恨みはない。 ずばずばをものを言うが、きちんと関係をフォローする。そうして、幾年も関係を続けている。 この世を去る人を悲しみ、生まれてくる命を喜ぶ感情がこの映画には含まれている。  

『マジェスティック』 Mr.Majestyk, 1974

 チャールズ・ブロンソン主演
 復讐や、仕返しのために妙な決闘をすることになる。警察は当てにならず、自分の言い分も聞いてはもらえない。 スイカ農園の収穫時期に揉め事が起きる。道理のとおらないことは嫌いな性分で、 人種差別もしない。クールな男が活躍する映画である。特に格好が良いわけではないが、 年齢なりの渋さを出している。トラックで逃げたり追いかけたりするシーンは荒野を むちゃくちゃな感じで疾走する。結構走るトラックだと感心する。 せりふは多くないので、あまり感情を理解することができない。 言葉数の少ないスマートな役を演じている。ストーリーはとても素直な感じがする。

『魔女の宅急便』 , 1989

 声:高山 みなみ、佐久間 レイ、山口 勝平、戸田 恵子、宮崎 駿監督
 アニメーション
 魔女の子の少女が13歳の満月の日に1年間、修行へと一人旅立つ。1年間誰も知らない町で奮闘しながら暮らすというストーリーである。
 ある時期になると、子どもは経済的にも精神的にも親から自立をするものだということを感じる。この物語では、古い掟であったり、 昔の日本では元服であったりするのだろう。本来、子どもというのはこのような体験を得て、成長をするものかもしれない。 また、成長の過程には困難なことがあり、挫折したり、くじけそうになったりしながらそれを克服するものだろう。 そのときに、友人であったり、知り合いであったりする人たちが助けてくれたり、または、自分が相手を助けたりするものである。 そういう人間関係を築いたり、維持していくことの大切さも学んでいくべきことであろう。 この映画では、生きていくうえでの体験が描かれているように思う。

『マスク』 MASK, 1985

 エリック・ストルツ出演
 2200万人分の1の確立で発症する病気にかかった青年のはかない人生を描いている。 卑屈になることなく自分に自信を持って生活しようとするが、まわりはそれほど温かく受け入れてくれる環境にはない。 いわゆる普通の人よりもまわりの人に受け入れられるのに時間がかかる。 母親と喧嘩をしながらも何とか二人で生活している。 卒業式に着ていく服装をプレゼントされるシーンはとても切なく温かく感じる。 また、遊園地で鏡に映っている自分を母親と見るところもじんわりとなごむ感じがある。 母子ふたりで助け合って生きてきたが、サマーキャンプに息子が行くことで二人の関係が変わっていく。 ドラッグ、アルコール、セックスにおぼれる日々をおくっていた母親は息子がキャンプに行っている間に 息子がいないことをとても寂しく思うが、その寂しさやドラッグを克服する。 息子のほうは母親のことを精神的に頼っていたのだが、母親がいないことで頼る相手がいなく 自分で克服しようとする。また、キャンプで知り合ったダイアナと恋仲になる。 母親と離れて暮らしたことで今までの生活から一歩抜け出した感がある。 二人とも今までとは違った関係で生活をおくろうとするが。

『マスク』 MASK, 1994

 ジム・キャリー、キャメロン・ディアス出演、チャールズ・ラッセル監督
 素顔ではなく、一枚自分の顔にかぶせることで今までの自分ではなく、違うに自分になれる。 そういうことを示しているようである。化粧をすることで、またはメガネ、サングラスをすることで自分自身が何かに返信したように感じる。 普段の自分とは違う人間のように感じる。素の自分では出せない自分を変身することで出せるように思い込んでしまう。
 マスクという力を借りて、マスク自体にもその力があるのだが、違う自分を演出をしている。 圧倒的なパワーが手に入る。素顔では言えなかったり、やれなかったりすることが可能になる。 そういうことをユーモアをまじえて描いているように思う。 フリーズ(止まれ)と言って、凍るシーンは面白い。

『マスク・オブ・ゾロ』 The Mask of Zorro, 1998

 マーティン・キャンベル監督、アントニオ・バンデラス、アンソニー・ホプキンス出演
 話の筋はよく分かる。妻を殺され、娘を奪われて復讐を心に決めた人間のストーリーと、 兄を殺され復讐をしようとする弟が過去の英雄のマスクを引き継ぐ人間のストーリーがある。 そこに奪われた娘が本当の父が誰なのかという筋が入っている。 英雄の伝説を引き継ぎ、過去の人物の話から現在の英雄になる筋を中心に描かれている。

『マダガスカル』 Madagascar, 2005

 アニメーション
 動物園で毎日人間に愛想を振りまいている「ニューヨーカー」の動物たちがマダガスカルへ行って野生を体験する。
 愉快な感じであるが、映像的に進歩しているのか、それほど変わっていないのか、人間表情や動きがぎこちないように感じる。 また、動物園で飼われている動物が野生に戻りそうで戻らないことは、人間に置き換えて考えると、少し残念な気がする。 ある意味環境に適応しているが、本来の姿を取り戻せないことはさみしい感じである。

『街角〜桃色の店〜』 The Shop Around the Corner, 1940

 マーガレット・サラヴァン、ジェームズ・スチュアート、フランク・モーガン出演、エルンスト・ルビッチ監督
 店員として働く、男女の恋物語を描く。上司と部下として働いているが、犬猿の仲である。意見の一致をみないし、反対ばかりである。 そんな二人ではあるが、プライベートでは文通をしていて、互いに惹かれあっている。相手のことを尊敬し、理想の人物だと考える。 しかし、店の中では犬猿の仲である二人であったが、文通の相手が本当はすぐそばにいるのだが・・・。
 文字だけの世界で相手と接することで自分の本当の気持ちを伝えることができる。また、文字だけなので自分で相手のことを想像してしまう。 言葉に秘められた意味を膨らませ、相手への思いを募らせていく。いい意味での純粋な気持ちが表現されていると思う。 悪意のない関係であり、正義であり、誠実に接しようとする気持ちがとても心地よい。 また、店員としての二人の気持ちのすれ違いとのギャップが最後の結末をとても幸せな感じにさせてくれる。

『マッカーサー』 MACARTHUR, 1977

 グレゴリー・ペック、イヴァン・ボナー、ワード・コステロ出演、ジョセフ・サージェント監督
 太平洋戦争、朝鮮戦争で司令官を務めたマッカーサーの半生を描く。
 独裁的に戦争をするのか、または政治的に戦争をするのかがなんとなくわかるような映画である。 戦争のために戦争をするのか、祖国のために戦争をするのか、義務を忠実に守るために戦争をするのか、目的が複合的であいまいになっているような感じもある。 世界各地で戦争、内戦が続いているこの時代で、戦争を体験したことがない人々はどのように感じることができるのであろうか。 日本の敗戦で、日本の国民の権利は、天から降ってきて与えられた権利であったということはよくわかる。

『マッド・シティ』 MAD CITY, 1997

 ダスティン・ホフマン、ジョン・トラボルタ出演、トム・マシューズ監督
 マスメディアのある限られた人間の主観によって大多数の人間の印象が作られる。 一部の人間によって世論が形成される。意図的に世論を作り出そうとすることによって 人の人生を狂わすこともできる。マスを陽動することも簡単にできてしまう。 主義主張を持って報道をすることと、陽動する行為は違う。 視聴率至上主義によって偏ったものの見方で報道することは悪であろう。 しかし、それを善とし製作する人間とそれを認める人間が人の意思を間違った方向へ導き、 螺旋状にマスの意思を待った区別の方向へと運んでいく。 中立的な立場での報道が求められ、それをもとに判断することが求められるように感じる。 大衆にそれをきちんと判断できる能力があるかどうかは前提ではないだろう。

『マディソン郡の橋』 The Bridges of Madison County, 1995

 クリント・イーストウッド主演、監督、メリル・ストリープ主演
 普段の日常の生活。つかの間の4日間の解放。変わらないポスト。アイスティをいれたグラス。忘れられていた感情。必要のなかった感情。人それぞれの感情。
"alive","but","home"がテーマのように感じる。
 「生きている」。身体的に生きているのではなく、精神的に生きている。4日間が一生、その人の中で生き続ける。土地が生きている。人間が生きている。
 「しかし」。何かをしたいけど、でもできない。生きたいけど、生きられない。解放されたいけど、解放できない。
 「家庭」。家庭から産まれて、家庭で育って、家庭から出て行く。家庭を作るのと、家庭を壊すのと。
イアリングは「解放」と"alive"の象徴だった。久しぶりに必要となったイアリング。忘れられていたもの。
 娘にとっての牛と、彼女にとっての家庭。前者は売るに売れない、後者は捨てるに捨てられない。橋からまかれた灰が次の命をつくる。 土に返る。生きた証となる。その場所から始まって、その場所で終わる。
 この映画を私が好きかどうかの判断は難しい。映画中の登場人物も葛藤していたように、私もその判断を下すのに葛藤が生じる。 精神的に積極的に生きることを選べば、残された人達が辛苦をなめることになる。彼女が生んだ子供達の存在が否定されてしまう。 積極的に生きるのをやめれば、本人にとっては苦痛に他ならない。

『マトリックス』 THE MATRIX, 1999

 キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング出演、アンディ・ウォシャウスキー 、ラリー・ウォシャウスキー監督
 この映画の世界の話が現存するところは、妄想でしかないだろう。この映画の設定とは異なるが、現実と結びつけて感想を述べると、 自分が特別だと思い込んでいる青年が、自分の地位、財産、生命が脅かされると信じる被害妄想である。 「自分の考え」が受話器から聞こえてくる。 自分がある種の能力を持っているから、何か不吉な、不気味な気分に襲われていると思っている。 不眠、不安、緊張、注意集中困難で仕事にも支障が出る。 表情に乏しく、冷たいとか硬いという印象を他人に与え、額にしわを寄せたり、 ひとりごと、空笑いを浮かべる。自分が苦痛を感じているのにもかかわらず、ちぐはぐな表情を浮かべたりする。 他人から操られたり、影響されている、他人に行動や思考が左右され、自分の考えが他人に取られたり、 他から考えが入れられたり、他人に自分の考えが分かってしまう、 自分の考えが周囲に伝わると感じるように思う。 自分が自分ではなく、感情がわかぬ離人体験を得る。自分のことを客観的に見すぎたり、 スローモーションのようにぐるぐると目が回る。

『マトリックス リローデッド』 THE MATRIX Reloaded, 2003

 キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィン 、マット・マッコーム出演、アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー 監督
 コンピュータに仮想現実を見せられているという世界観には共感できない感じである。 どこの時代でも救世主に頼らなくてはならないのは真理なのかもしれない。 満足する人も多いのだろうが、格闘シーンも仮想現実のようで空手の型を見せられているようである。恐怖心や痛みを感じないというか重みを感じない格闘シーンである。 無条件にアクションが好きな人は楽しめるかもしれない。 本当にアニメのドラゴンボールの世界である。映像を製作すること自体はなかなか苦労があるのだろうと思う。

『マトリックス レボリューションズ』 The Matrix Revolutions, 2003

 キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング、ジェイダ・ピンケット=スミス、ランベール・ウィルソン出演、アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー監督
 コンピュータにより作られた仮想現実を人間が見せられているという設定の下、人間の救世主として人類を救うという話。
 超人的な身体能力を持っている割には、簡単にやられたりする。能力の設定に一貫性が無いように思える。 また、予言とか予測が蔓延している割には、それがまったく急に覆されたりする。プログラムなら制御や予測をきちんと立てて欲しいと思う。
 コンピュータが人間の脅威となるとする設定は、『ターミネーター』みたいな感じである。

『真昼の決闘』 High Noon, 1952

 ゲイリー・クーパー、トーマス・ミッチェル、ロイド・ブリッジス、カティ・フラード、グレイス・ケリー出演、フレッド・ジンネマン監督
 秩序があるときには、保安官のバッチも役に立つし、それに対して信頼もある。 しかし、秩序が維持できない状態となるときには、バッチは何も意味をなさなくなる。 また、自らバッチを外すものも現れる。自分や自分の家族、町の評判を気にし、一致団結して無法者に立ち向かおうとはしない。 騒ぎが収まるまで知らないふり、またはかかわりを断つ事で状況を回避しようとする。 本質的な平和と安心を手に入れるために自分達の犠牲は払わず、他者の勇気を当てにする。 保安官を辞職し、町を離れる予定だった男が立ち向かい、自分達の町に住んでいる住民がしり込みをする。 住民の自分達の義務に対する無関心さ、および無責任さが際立つストーリーとなっている。 また、決闘が終わった時に住民が家からぞろぞろ出てくるところはなんともばつの悪さが表れている。 最後にバッチを足も元に捨てるシーンは、住民に対する憤り、失望感の表れだろう。

『招かれざる客』 Guess who's coming to dinner, 1967

 スペンサー・トレイシー、シドニー・ポワチエ、キャサリン・ヘップバーン、キャサリン・ホートン出演、スタンリー・クレイマー監督
 新婦のほうの父親の心情の変化を追うことができる。今も古くからの社会的状況での差別がある。 黒人と白人が結婚するという問題を扱っている。
 ある日、二つの家庭に予想だにしないことが起こった。 父親にとっては、娘のことを大切に思い、幸せになることを切に願っているが、黒人男性と結婚することに積極的に同意することができない。 しかし、結婚を反対すればこれまでの自分の信念を否定することになる。父親は自分の理想と現実とのギャップに苦しみ、葛藤する。 反対するということは総論と各論は違うということを示すことになる。社会的な立場上の理想と感情と 個人的な立場上の理想と感情の差がある。 一方、母親同士は最初は結婚にびっくりするが、すぐにその情況になれてくる。 子どもの幸せを最優先させ、差別とか偏見とか黒人と白人の軋轢などによって二人が幸せに慣れないことを避けようとする。 また、新婦の家にいるお手伝いの黒人女性は、最初からこの結婚に同意することができずに、 男に憤慨する。白人と黒人との軋轢にどっぷりと彼女は使っている。彼がブラックパワー "black power"  (黒人に対する人種的偏見を打破し、その社会的地位の向上を獲得しようとする力、運動) を使ってまで結婚しようとしているのではないかと疑っている。 彼女はそういう社会で育ち、そういう状況に慣れきっていて、自分が黒人の女性として生きている。 だから、黒人と白人が結婚することは自分の頭の中には全く無かった。 お手伝いの女性と同じように、新郎のほうの父親は結婚に「抵抗」がある。頑なに白人との軋轢を避けようとする。 関係を融和させようとしない。彼は、自分を前提として「黒人」と思っていて、自分を「人間」と思っていない。 彼は頑迷さと盲目さをまだ持っている。
 それぞれが自分の意思を伝え合うことによって、ばらばらだったそれぞれの意思がやがて一つになろうとする。  「飛行機でロサンゼルスから40分で来られる」 ということが昔とは時代が違うということをあらわして、 やがて世界全体が変わってくるということを示しているのだろう。

『間宮兄弟』 , 2006

 佐々木蔵之介、塚地武雅、常盤貴子、沢尻エリカ、北川景子出演、森田芳光監督
 ビール会社社員の兄と学校校務員の弟の日常を描く。仲が良いちょっと風変わりな兄弟である。
 恋愛対象の女性を求めて切磋琢磨しているような兄弟の感じがするが、不器用さが描かれていて少し切なさを感じてしまう。 小学校の同僚の女教師や頻繁に通うレンタルビデオの女性店員をホームパーティに誘ったりする。 この映画の一番の魅力は、高校生でもない、大学生でもない、少し恋愛の旬を過ぎた兄弟が適当な感じで、もがいている感じである。 しかし、出演の女性が皆かわいい女性というところが、リアリティがあるようなないような印象が残る。

『マルコヴィッチの穴』 Being John Malkovich, 1999

 ジョン・マルコヴィッチ、ジョン・キューザック、キャメロン・ディアス、キャサリン・キーナー出演、スパイク・ジョーンズ監督
 人形遣いとしては生計を立てることができない夫は、ある会社へ就職する。 彼はその会社で仕事中に偶然、15分間だけ俳優のジョン・マルコヴィッチになれるという穴を見つけた。 彼は一目ぼれをした女性とパートナーとなり、その穴を使って商売を始める。そして、その穴をめぐって奇妙な体験、関係を持つ。
 ストーリー自体はそういうおとぎ話的な事として受け入れられるようだが、そこに変質的な性的な欲望を織り交ぜているので、異質的で卑猥な感じが残る。 基本的にすっきりとしない後味の悪さが漂う感じである。 擬似的に他者になるという体験をしてみたいということは、平凡な人生をおくっている人間にとってはありがちな話である。 しかし、他者を使って、他者の視点で人を愛するという行為はすこし歪んでいるような感じがする。変な映画である。

『マルコムX』 Malcolm X, 1993

 デンゼル・ワシントン、アンジェラ・バセット、アル・フリーマン・ジュニア、アルバート・ホール出演、スパイク・リー監督
 彼以外は hypocrisy (偽善)であったかもしれない。利権争いに巻き込まれた要素もある。
 全ての白人が悪であるという考えから、人種を超えた特定の人間が悪であるという考えに変わったところはとても大切な事であろう。 宗教が人種差別を超えるというところは興味深い。 しかし、その宗教が原因となって身を滅ぼされたのは人間に住みつく、 purify (浄化)されていない病理の部分を露出したことになるのではないか。 宗教問題と人種差別の問題が絡み合っている。
 彼がマスコミの前面に出るようになって同志の中で軋轢が生じる。 今まで暴力によって被害に遭い、思想によって虐げられてきたのに、結果的に今まで否定してきた暴力という形で決着をつけようとする。結局は目には目を歯には歯をという形になる。 歴史は繰りかえされるのか。全ての人間が宗教で自分を抑制できるわけではない。自分たちのエゴを吐き出しすぎていろいろと矛盾が生じてくる。 混乱した社会の中で「個人」が何を信じてどのように考えてどのように行動するかの縮図のひとつを彼が人生の中で示したように感じる。

『マルティナは海』 Son de mar, 2001

 レオノール ワトリング 、ジョルディ・モリャ出演、ビガス・ルーナ監督
 スペイン映画
 文学教師が港町にやってきて下宿をする。下宿には若い娘がいた。やがて娘は妊娠し、教師と結婚をするが、夫は生活にうんざりして・・・。
 男も女もずるいのかなと思う。欲しいものを求め、嫌になるとそこから立ち去る。そして、また欲しがると戻ってくる。 そして、相手も今後のことも考えずに刹那的に求めに応じる。 男女の本当の愛情を表現しているとも考えられなくも無いが、男女の欲望を海の豊かさや生命を育むイメージにすりかえているような感じもする。

『マルホランド・ドライブ』 MULHOLLAND DRIVE, 2001

 ナオミ・ワッツ, ローラ・エレナ・ハリング出演、デビッド・リンチ監督
 見せる映画ではないし、魅せる映画でもない。注視して見ないと途中で見るのをやめたくなるほどである。 映像や、カメラワークなどは悪くは無いが、基本的なテーマが見えてこない。 意味不明な映像をつなぎ合わせているだけ、分からないものを見せることによって別のものを想像させようとしているような感じがする。 人間の性質をついているとは思わないし、心理を表現しているとも思わない。 全体的な流れとして偏狭的なメッセージ以外には何も伝わってこない。

『マン・オブ・ノー・インポータンス』 A MAN OF NO IMPORTANCE, 1994

 アイルランド・イギリス合作映画
 唯美主義とは、美への献身、それも主として芸術や文学、および生活上の魅惑的なものの全てが持つ美への献身をいう。 さらに、ただ単に美への献身というだけでなく、他のさまざまな価値に比べて美の重要性を信ずるという新たな信念である。
 オスカー・ワイルド OSCAR WILDE, 1854-1900 の『サロメ』の劇を演出しようとするホモの男がカトリック社会で生きていこうとする。 サロメは罪悪感を完全に欠いた純粋な官能的人間であり、自分自身の本能的欲望、感覚的充足のみに忠実であろうとする快楽主義者、 デカダント(退廃)な女性に他ならない。カトリック社会ではことごとく厭われるような概念を追求しようとする。 一つの主義として認めるのとそれを実際に行動に移すのとでは明らかに違う。 カトリック社会で芸術至上主義を追求して教義に反することをすることはタブーであろう。
 ダブリンの町並みはとてもノスタルジーを感じさせている。

『マン・オン・ザ・ムーン』 Man on the Moon, 1999

 ジム・キャリー、ダニー・デヴィート、コートニー・ラヴ、ボブ・ズムダ出演、ミロシュ・フォアマン監督
 観客を楽しませてそれを自分の喜びとするというよりは、自分が楽しい事、観客の意表をつく事で自分の喜びとしていることで、次第に彼の芸風に観客がついていけなくなる。 楽しい笑いというよりは、不快感が残る言動をとることがしばしばである。観客の意表をつく事自体は決して悪い事ではないが、その結果、びっくりしたというより、いぶかしがる疑念が残る。 人気が高いことは、必ずしも観客に受け入れられているという事ではないことがよく分かる。 観客の反応や顔色などを読み取る事はせず、ただ、自分達の思惑通りにいけば満足しているが、構成作家も含め、どのような笑い、および観客とどのようなコミュニケーションをとりたかったのだろうか。 観客、または、場が与えられるから自分達の芸が可能となることを理解していたのかどうかは分からない。ただ、彼らの芸風自体はテレビ局や観客に迎合しなかったという点で新しいスタイルなのかもしれない。

『卍(まんじ)』 , 1964

 若尾文子、岸田今日子、川津祐介、船越英二出演、増村保造監督
 異性とも交わることはできるが、同性愛の行為もできる女たちとその夫や婚約者の奇妙な関係を描く。
 そもそも異性への通常の恋愛はできないものなのだろうか。純粋な恋愛があれば、同性への憧れや不埒な振る舞いなどは起こりえないように思う。 文学としては非日常の精神状態や、心の奥底に隠されているような心情を表現することは意味のあることかもしれないが、 それは隠された部分であって、おおっぴらに表に出てくるものではないように感じる。 頭の中だけで考えることであって、行動に起こそうとも内密にこそこそと行うことであるように思う。 日常に不満があり、いけない関係だからこそ深入りしてしまうのであろうか。観音の話が出てくるが、苦悩を救済できないのだろうか。

まんじ:インドのビシュヌ神の胸の旋毛を起源とする瑞兆の相。仏教に入り、仏の胸など体に現れた吉祥の印の表象となった。 日本では、仏教や寺院の記号・紋章・標識として用いる。

『卍(まんじ)』 , 2006

 秋桜子、不二子、荒川良々、野村宏伸、吉村実子出演、井口昇監督
 同性愛を絡めて、男女の妙な関係を描く。
 単に奇妙な男女関係が描かれているといった感じである。ぞくぞくするような感覚や、いけないことをしているといった興奮、美しいものへの恍惚の境地などは感じられない。 また、情事をつくしたあげくに残された人間の焦燥感や寂寥などもない。騙し、騙され、疑心暗鬼になるような人間関係もあまり感じられない。 演技やカメラワークはあまりうまくは無い。

『マンハッタン』 MANHATTAN, 1979

 ウディ・アレン、ダイアン・キートン、マリエル・ヘミングウェー、メリル・ストリープ出演、ウディ・アレン脚本、監督
 ニューヨークをこよなく愛する放送作家が小説家へと転職したり、自分の恋愛についてあれこれ悩む姿を描く。
 価値観や年齢などは関係なく人はそれぞれ自分に合った人を紆余曲折視ながらも見つけ出すことができるように思う。 人は変化をするし、変化をしてまた元に戻ることもある。 変化を恐れることなく、変化に戸惑うことなく自分が思ったことに打ち込んだりすることは自分にとっても周りの人にとっても貴重なこととなるものかもしれない。 迎合はしないが、人の価値を認め人を理解することで自分の幅も広がることがあるかもしれない。 虚無的であっても、ナルシストであっても、人生に悲観的であっても、人と知り合い、わずかなきっかけ、わずかな度胸で人生は変化するもののように思えてしまう。 人は何かしらの変化を求めるがために、反対に人生をつまらないものだと思ってしまうのかもしれない。 行き詰ったときに、立ち止まったときに、動き出し違うことに触れてみることが必要なのかもしれない。

『マンハッタン・ラプソディ』 The Mirror Has Two Faces, 1996

 バーブラ・ストライサンド、ジェフ・ブリッジズ出演、バーブラ・ストライサンド監督
 complete alive という感じを求めて生きている。 大学教授なのだから自分の研究分野に意識を注げばいいのだが、 それ以上に外見や男女関係、そのsex、それに伴う恋愛感情や欲求の昇華先を探す。 自分の容姿に自信がもてず、家族に嫉妬深さを持っていた。 自分を自制させるためにsexのない男女関係を維持できる女性を探していた。 その男女が知り合い、結婚し、穏やかな欺瞞の性格を送る。 感情をすりあわさずに知識で結び合い、蓄積された感情と欲求によって危機を向かえ、更なる関係を作り出そうとする。 男女関係と恋愛とsexの微妙な相関関係を表している。


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