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映画の感想

ア〜(な)

ア(は)〜  ウ エ  カ行 サ行 タ行 ナ行  ハ行 マ行 ヤ行 ラ行  ワ行

『アイ・アム・サム』 I am Sam, 2001

 ショーン・ペン、ミシェル・ファイファー、ダコタ・ファニング出演、ジェシー・ネルソン監督
 7歳の知能しか持っていない父親が、娘が7歳になったときに娘の養育者として適さないとされるが、娘と暮らせるように社会奉仕で引き受けた弁護士と共に闘う。
 親が子どもを育てるのか、それとも子どもは勝手に育つのか。養育に適していると決めるのは誰なのか。 養育するのに高度な知能は必要なのか。普通の知能がなければ養育できないのか。その普通の知能というのは数字で評価できるのか。 親や友人や知り合い、近所の人たち、町の人たち、または自分自身が自分を育てるのではないだろうか。 育とうとする気力を育てる必要があるように思う。知能だけが劣っているから、養育者としては的確ではないという判断は当事者の気持ちを無視しているように思う。 行政は親も含めて支援することが本来あるべき姿のように感じる。 いろいろな立場の大人たちが父娘の周りで騒いでいるが、父親と娘の心のつながりが描かれている。

『アイアン・ジャイアント』 The Iron Giant, 1999

 ブラッド・バード監督
 アニメーション
 宇宙からやってきた巨大なロボットと少年との交流を描く。
"You are who you choose to be."
自分は自分で選ぶ。自分のことは自分で決められる。確かに良い言葉であるが、それなりにやらないとつらい人生にもなる。結構過酷でもある言葉である。 作品中、効果的にこの言葉も使われている場面がある。
"you have a soul." "and soul don't die."
ロボットでも感情を持っていて、魂を持っている。そして魂は死なない。魂とは目に見えないものであるが、感じることはできる。 自分も感じることもできるし、他者も感じることができる。魂は自分の本質的なものである。 ロボットも感情を持ち、みんなを助けようとする思考を持つ。本来ありえないようなことであるが、とてもよい話である。 単にロボットと遊び、仲良くなって、別れてしまうという話ではないところも良い。 ロボットは最終的には壊れてしまうが、再生するところはアニメーション的で良いところである。

『哀愁』 WATERLOO BRIDGE, 1940

 ビビアン・リー ロバート・テイラー出演、マーヴィン・ルロイ監督
 第一次世界大戦下で出会った青年将校と踊り子の悲劇の恋愛を描く。
 決断や潔さが際立つ映画である。始まりの婚約をする時や、終わりの別れを決める時などは、とてもそう思える。 幸せになりたい、チャンスを逃したくないと思う気持ちと、現実の後ろめたさがひしひしと伝わってくる。 どんな状況でも希望を捨ててはならないとは分かっていても、貧しさや飢えには勝てるものではない。 不幸な境遇とそれに対して屈した結果が、新たな不幸を呼び起こすことになる。 このような悪循環を容易に断ち切ることはできないが、落ちるところまで落ちてしまうと、やり直すことは限りなく難しいということを感じさせられる。 不幸に慣れてしまうと不幸を感じられなくなるが、幸せな時間に接してしまうと相対的に不幸がとても惨めに感じられてしまう。 不幸な状況とは縁の無い人には全く興味の無い映画かもしれない。

『愛人関係』 Les Seins De Glace, 1974

 アラン・ドロン、ミレーユ・ダルク、クロード・ブラッスール出演、ジョルジュ・ロートネル監督
 フランス映画
 愛しているからなのか、それとも同情なのか。これからの展望がないと判断したことにより、その人の今後を絶つ。 その結果の対価の重みを知っている人間がそれを決行する。 自分の人生を棒に振るよりも価値のあることなのだろうか。自分や、自分と係わり合いのある人の人生をすべてぶち壊してしまいかねないことを犯す。 それほどまでに大切な人であり、大切なことなのだろうか。しかし、それをすることが彼にとって最善であり、対象に対しての愛情なのだろう。 とてもさびしく悲しいことであるが、何ものにも代えられないことなのだろう。
 その女性がそれほど魅力的であるかどうかはわからないが、映像の中ではそれほどひきつけられる感じではない。

『アイス・エイジ』 Ice Age, 2002

 声:レイ・ロマーノ、ジョン・レグイザモ、デニス・レアリー。クリス・ウェッジ監督
 アニメーション
 ひねくれもののマンモスと、仲間ハズレのなまけものが偶然人間の赤ん坊を助ける。 裏ではその赤ん坊を狙うサーベルタイガーが道案内に加わり、赤ん坊を親元へ返す旅をする。 異なった性格や、状況的に加わった集団が、「仲間」として認知をし、助け合うというテーマがある。 仲間として助け合い、助けてもらったことには恩義を感じ、騙したり、裏切ったりすることには否定的な考えをもつ。 情操を養うという意味では良い映画かもしれない。 全てに焦点が当たっていて、映像が表面的で奥行きや臨場感がない感じがする。

『アイス・エイジ2』 ICE AGE: THE MELTDOWN, 2006

 カルロス・サルダーニャ監督
 温暖化により氷河期が終わろうとしている。氷壁が壊れる寸前であり、大洪水に襲われる恐れがある。大洪水から逃れようと動物達は旅に出る。
 ストーリーとしては、それほど面白いとは思わない。CGとしてはよくできていて違和感無く見られる感じである。あまりインパクトが無い映画である。

『アイス・ストーム』 The Ice Storm, 1997

 ケヴィン・クライン、シガーニー・ウィーヴァー、ジョーン・アレン、ジェイミー・シェリダン出演、アン・リー監督
 感謝祭の休暇により寮生活をしていた息子が帰ってきた。そこには表面的には普通の家族があるが、実際はばらばらになってしまった家族となっていた。 夫は隣人の妻と不倫中であり、娘は14歳にして処女を失うような行為を場当たり的に試みる。夫の行為に感づいている妻は万引きをしてしまう。 兄が学校の知り合いの家に遊びに行っている夜に、家族にとって動き出すきっかけとなるできことが起こる。
 誰かの死によって元に戻ることがある。 ばらばらだった感情がまとまりを見せようとする。 宙に浮いて空中分解寸前だったものが無事に着地できるかのように見える。突然の死というものはあらゆるものを圧倒する力がある。
 決定的ではないが、わずかにずれている行為をする。それは正気なときには異常であると思える行為でもある。 だんだんと離れていって不本意ながらもそれを黙認していたが、元には戻れなくなってしまったことに互いに気づく。 気づいたときには修復は不可能のように思われる。 人の感情や状況を認識するまでのタイムラグと、それらの認識と状態の乖離を描いている。乖離がゆっくりと広がっている場合にはとても気づきにくいものである。 気づいたときには自分たちの努力ではとても修復不可能な関係や状態となっている。そこには後悔しても後戻りができない状況が残っている。

『アイ・スパイ』 I-SPY, 2002

 エディ・マーフィ、オーウェン・ウィルソン、ファムケ・ヤンセン出演、ベティ・トーマス監督
 要領よく仕事をこなせないスパイがボクシングチャンピオンとともに任務を遂行し、波乱を巻き起こしながらなんとか解決しようとする。
 とりあえず、無駄な会話や行動が多く、低脳ぶりを的確に表現している。 人の話を聞かず、自分がやりたいようにしか出来ない身勝手な人物像で、成功にたどり着くには程遠いと思わせてくれるストーリーである。 小学生が探偵をしているようであり、もっと笑える会話が欲しい。

『愛する者よ、列車に乗れ』 Ceux Qui M'Aiment Prendront Le Train , 1998

 ジャン・ルイ・トランティニャン、シャルル・ベルラン、ヴァンサン・ペレーズ、パスカル・グレゴリー、シルヴァン・ジャック、ヴァレリア・ブルーニ・トデッシ出演、パトリス・シェロー監督
 フランス映画
 ゲイ、エイズ、同姓の恋人、薬物中毒、別居、相続問題、職業観、親子関係などタブー視されがちな社会問題などをストレートに描いている。 このような人たちがここまで密集しているのも不自然な事のようにも思えるが、 スパイラル的に悪循環が広がっていくものかもしれない。 埋葬に向かうまでの列車の中での人間模様、埋葬後の屋敷での人間模様の2つの面がある。前者は個人個人の繋がりと全体の人間関係の調和に配慮して行動しているが、 後者は自我のぶつけ合い、意思の吐き出し合いである。 この映画では原因を追求するのではなく、既にここにある事後での問題解決を試みようとしているように感じる。 それぞれが抱えているものはとても複雑で込み入っていて、いろいろな事柄の複合であり、人間関係も愛憎、打算的な部分もある。 ただ、この映画で描かれているものは、個としての生き方、存在のあり方が中心のように感じる。 社会生活上の差別や不条理ではなく、個としての自分は「どうなのだ」という問いかけとその回答、収束が描かれている。

『愛ではないすべて』 LEVOTTOMAT, 2000

 ミッコ・ノウシアイネン、イリナ・ビョークルンド出演、アク・ロウヒミエス監督
 フィンランド映画
 ナンパして関係を持った女性が彼に好意を抱く。しかし、彼はセックスはするが人を愛することができない。 彼はその彼女の女友達2人とさらに関係を持つ。そのことでそれぞれの女友達の人間関係を壊す。しかし、男女は過ちを正すことなく、さらに過ちを繰り返してしまう。
 最後は愛すること、最愛の女性を見出したようでまともな印象を与えそうであるが、実際まともな行為ではない。 彼は妊娠させた女性を捨てて別の女性へ行く。 人間の感情は抑制できない、理性の効かないようなもののように表現しているがそれは宗教的、人道的、道徳的な意味を否定している。 それが人間の本当の姿であり、それを表現していることがまともであるような感じとしている。 好きだから、セックスをしたいからなどの理由から自分の本心に従い、思い通りにする、自分の感情どおりに行動することが実際に正しいと錯覚させるような印象を持たせているような感じである。 この映画では人間が人間であるという理由が描かれていないように思う。

『愛と喝采の日々』 THE TURNING POINT, 1977

 「私達の時代が終わった」ということが象徴するようにもう終わった人間とこれから花開く人間模様を描いている。 過去の栄光にとらわれている人間と栄光をつかめなかった人間がそれぞれの想いに悩む。 分岐点というようにそれぞれの人間の分岐点の辛さなどをあらわしている。 時間や状況はそれぞれ違うが、その時のわだかまりを残したまま若さを失っている。 嫉妬やこだわりに翻弄されて自分の感情を溜め込んでいく。 若さを持っていることの強さを身にしみてわかっている。若さや栄光など持っていないものへの執着がある。 今の自分が不幸なのではない、しかし今の自分には何も無いような気がしてなんとも言えないもどかしさがある。 浮き足立っているように今の自分にしっくりこない。「過去」の可能性にまだ未練を持っている。 当時は懸命に生きてきたはずなのに現在の自分に自信が持てない。 感情や嫉妬を剥き出しにして人とわかりあおうとする。 若さも可能性もある人間も、若さを持っていない人間も必死になって生きようとする。

『愛と哀しみの果て』 OUT OF AFRICA, 1985

 ロバート・レッドフォード、メリル・ストリープ出演、シドニー・ポラック監督
 カレンの物語を聞いているときに、蝋燭の火、暖炉の火ごしに画面が映っている。 蝋燭の火も、暖炉の火も有限の火であって無限の火ではない。 いつかは燃え尽きてしまう火である。人それぞれの想いもいつかは果ててしまう有限のものを暗示しているようだ。 火事の火も、すべてを燃やし、新たにこれからの人生を切り開いていくようになっている。すべてが灰になり、これからの糧になるように感じる。 新たなものを生み出す感じを出している。
 rain 雨の中を歩いていたり、雨の中でたたずんでいたりする。天から降ってくる雨にぬれて今までの自分を洗い流しているようだ。 今までの自分を洗い流して一皮むくような感じを表している。

『愛と追憶の日々』 TERMS OF ENDEARMENT, 1984

 シャーリー・マクレーン、デブラ・ウィンガー、ジャック・ニコルソン出演、ジェームズ・L・ブルックス監督・製作・脚本
 子どもへの過干渉と過保護が問題になる。 適切な親子関係というよりも友人関係のようになっている。 適切な人間関係を持っているようには思えない。 自分中心に、かって気ままに生きて自分の都合が悪くなると感情的で不機嫌になる。 自分がどうあるかであって、家族や他人のことを全く考慮しない。 自分の感情を人に押し付ける。
 状況で恋愛して決して価値観とかをすり合わせてはいない。 そういう話は全くでてこない。 全てが感覚のみで理由を求めない。だから簡単に結びつき、簡単に分かれてしまう。

『愛のコリーダ2000』 , 2000

 藤竜也、松田英子、中島葵、芹明香、阿部マリ子出演、大島渚監督
 日仏合作映画
 1976年製作当時はカットされていたがノーカットによる映画である。愛する男の男性器を切り取った阿部定をモチーフにした映画である。
 ほぼ全編セックス描写である。ここまでくると興奮というよりも、すごい、感服である。 人間的に愛していたかどうかは分からないが、床惚れは確かであろう。 男性器を切り取るまでに惚れていた、それを4日間も肌身に持っていたというところは脱帽である。 男女の楽しみは少ない時代だからこそ、こういうことが起こり得るのかもしれない。 とりあえずいろんな人に、一貫した愛の表現を示したことはすごいことだと感じる。 愛する男にわざとほかの女を抱かせるという行為も正常とは思われないが、興奮や嫉妬の行為、相手のことに意識を集中させる行為なのかもしれない。

『愛の亡霊』 , 1978

 田村高廣、吉行和子、藤竜也、長谷川真砂美出演、大島渚監督
 逢瀬を重ねて、ついに夫を殺した妻と男が夫の幽霊に悩まされ、ついに身の破滅へ向かう。
 欲や感情におぼれたが、夫を殺したことで恐怖感、罪悪感に浸ってしまう。 犯罪を犯すには弱すぎた精神を持っていた。相手を思いやったり、罪を1人でかぶる決心をしたりするが、その思いやりは本当は夫へ向けるべきであったろう。 火がついている家で妻が1人で死のうとしている時の、その妻と男の会話はなかなか良い。 愛し合っている男女の会話のように聞こえる。男女は精神的なつながりよりも、情欲のつながりの方が強いのだろうか。 性欲は否定するものではないが、性欲の度が過ぎると肉体や魂までも壊してしまう気がする。 この映画は、それほど性描写があるものではない。

『愛は霧のかたなに』 GORILLAS IN THE MIST, 1988

 シガニー・ウィーバー出演
 マウンテンゴリラに対しての情熱が彼女をマウンテンゴリラの保護者のようにする。 先住民の文化に触れて戸惑うこともあるが、次第に自分の中に溶け込ませようとする。 動物の保護と利益が相反する中で彼女は懸命にゴリラの保護を主張する。 ゴリラの絶滅は現地の国だけの問題ではないとわかる。 先住民は外国人に売って自分達の生計を立てようとしている。 ゴリラは人間の欲望の犠牲となっているのだった。彼女は生涯をかけてゴリラの保護をしていこうとするが。 自然の中で人間が生きることとその難しさをよく理解できる。 人が裕福に生きようとするとどこかを圧迫することになる。 彼女の墓とゴリラの墓を繋げるところは複雑な悲しさを感じさせる。

『愛を読むひと』 THE READER, 2008

 ケイト・ウィンスレット出演、スティーヴン・ダルドリー監督
 猩紅熱(しょうこうねつ)にかかり三ヶ月ほど自宅療養後、助けてくれた女性へお礼を言いに会いに行く。そのことをきっかけに、15歳の少年と母親くらいの年齢の女性が逢瀬を重ねる。  しかし、彼女は突然姿を消してしまう。数年後、彼は意外なところで彼女の姿を目にしてしまう。
 誰が罪なのか。何が罪なのか。何が恥なのか。罪をかぶるより恥なのか。女性が受け入れた運命と女性が選んだ運命はいったい何だったんだろうか。 女性がそれぞれとった行動は衝撃だが、なんだか腑に落ちないような印象である。彼女にとって「読む」という行為が終わったことがきっかけなのだろうか。

『I want you あなたがほしい』 I want you, 1998

 イギリス映画
 全体的にまどろっこしさを感じる。幼いころの心的外傷を克服することができず、 泥沼の中をぐるぐるぐるぐると回っているような印象を受ける。 情緒的な障害を受けることから身体的な障害を残す。潔い、ストレートなゆがんだ愛。 純粋で、一途で、素直ないびつな愛。情緒面での外傷が感覚鈍磨を引き起こす。 ある一定の感覚、尋常さ、向社会的な行動や判断の欠如と、それに伴う結果を推測する能力の欠落さが いわゆる普通の感情を平坦してしまっていることを誘発しているように思う。

『アイリス』 Iris, 2001

 ジュディ・デンチ、ジム・ブロードベント、ケイト・ウィンスレット、ヒュー・ボネヴィル、エレノア・ブロン、アンジェラ・モラント出演、リチャード・エアー監督
 晩年にアルツハイマーになった女性作家とその夫の人生を描く。
 アルツハイマーの兆候を示す段階から、介護施設へ入所させるまでの間を描きつつ、夫婦が出会ってから結婚、夫婦生活をフラッシュバックを交え描いている。 彼女は魅力はあるが、決して従順で貞節を保っている女性ではない。彼女は、結婚前に幾人もの男性を経験し、ある意味、性に対してルーズである。 そういう女性と結婚し、お互いに支え、老後も支える。 老後に妻が認知症になってから、妻の過去の男性経験の話を思い出し、寝ている妻に罵声を浴びせるシーンは、とても辛く悲しいものである。 それは、夫にとっても、認知症の妻にとっても同じであろう。それほど、夫はいろんな意味で正直であったということであろう。 性に対して堅固であった人間は、性に対して奔放な人間に何かしらのしこりを持つことは不自然ではないであろう。 言葉は思考であるというセリフは、この映画ではとても意味があるものである。

『アイリスへの手紙』 STANLEY & IRIS, 1989

 ジェーン・フォンダ、ロバート・デ・ニーロ出演、マーチン・リット監督
 ある出来事が重なり合うことで読み書きができないということがわかってしまう。 読み書きができないということで職を失い、父親の不幸にも気づかなかった。 前職の会社が同じであった女性に、悩みぬいた末に読み書きを教えてほしいと頼む。 途中、中断しながらも、いろいろな事情と感情の交差の末に読み書きできるようになり、 職も見つかる。そしてプロポーズをする。 映画中、喜怒哀楽はあるのだが、全体的に淡々と進んでいったように感じる。 個人主義というか、家族を重んじるような感じでいるが、 結局は自分のこととして行く先を決めてしまう。 そういう、まとまっているのか、ばらばらなのかわからないような人間のつながりを感じてしまう。

『愛を殺さないで』 MORTAL THOUGHTS, 1991

 デミ・ムーア、ブルース・ウィリス主演
 特別な男と結婚したかったのではなく、「結婚」をしたかったのが間違いの始まりである。 主義主張が一致したから異性と結婚するのではなく、結婚自体をしてみたかったから結婚したのだった。 それから転落の道をたどることになる。数年たち麻薬、アルコール付けのジミーが家庭でも仕事でも足を引っ張るようになり、 ついには自分の親友を犯そうとする。親友がジミーを殺してしまったので、自分もジミーの死体遺棄を手伝ってしまう。 ジミーの妻のジョイスは親友をかばおうとするが、その親友のシンシアは裏切ってでっち上げの話を警察に言ってしまう。 しかし、ジミーを殺したシンシアは自分が裏切ったジョイスの事を考え、良心の呵責から本当のことを言おうとする。 自立しているように見えて、結婚とか親友とかに頼っていないと生きていけない人間たちがいる。 何かにすがっていないと自分を保てない自分がいる。そういう屈折した思いやりとか人間関係の補完を 現しているような印象を持った。

『アイ,ロボット』 i, ROBOT, 2004

 ウィル・スミス、ブリジット・モイナハン、アラン・テュディック出演、アレックス・プロヤス監督
 "ターミネーター" "A.I." を混ぜた感じがする映画である。 床を這う掃除ロボットのように、ある条件に制限した場合に主体的に行動できるようにする事は問題無いかもしれないが、人間の代わりとしてのロボットに主体性を与える事は危険なことかもしれない。 ロボットの形状を人間に似せるも、またはいわゆるロボットの形にするのもこれまでの人工的な発想のような気がする。

『アウトブレイク』 OUTBREAK, 1995

 ダスティン・ホフマン、モーガン・フリーマン出演
 いかにもアメリカ国民的な行動を市民はする。固定観念なのかもしれないが、結構大雑把で大胆な行動をする。 集団の中での個人の役割を演じるのではなく、自分勝手な行動をしようとする。 他者を傷つけてでも自分の身を守ろうとする傾向のある印象を持つ。 その対照的に自分の身を危険に侵してでも他者を助けようとする人間たちがいる。 そのギャップというか両極端の人間性を描いているところがすごい。 上官とその部下の対立も描いていてわかりやすい構成をしている。 ヘリコプターで上官から逃げているシーンは見所だろう。もっと撃ち合いをするか、 また、撃てない葛藤なり人間関係のしがらみなどを強調しても良いように思う。

『アウトロー』 THE OUTLAW JOSEY WALES, 1976

 クリント・イーストウッド監督・出演
 安住の地にたどり着く。怒りと恨みで北軍に立ち向かう。 友人と亡くし、ネイティヴ・アメリカン達と出会い、いろいろな戦いをし、自分の感情を治める。 西部劇としての荒々しさやアナーキーな部分はとてもよく伝わってくる。 残酷な感じもあり、清潔さに欠けるヴァイタリティと生き抜く力、強いもの、力のあるものが支配する 時代を感じることができる。

『青い部屋の女』 LA HABITACION AZUL/THE BLUE ROOM, 2002

 フアン・マヌエル・ベルナル、パトリシア・ジャカ、エレナ・アナヤ出演、ワルテル・ドエネル監督
 メキシコ映画
 不倫をしている男女の夫が不審な死を遂げ、妻が毒殺される。その死の真犯人を刑事が追う。
 浮気によって身を滅ぼすということだろう。1つの悪事が次の悪事へとつながり、最後には自分の首を絞める結果となる。 どこかで罪を償い、再出発すればよいが、強欲や欲情はたやすく断ち切ることができないものなのかもしれない。 人はそういう性質を持っているのかもしれない。すべての人ではないが、欲によって人を滅ぼし、また欲によって人は滅ぼされてしまう。 なんとも人は業が深いものかもしれない。

『赤い河』 Red River, 1948

 ジョン・ウェイン、モンゴメリー・クリフト、ジョアン・ドルー出演、ハワード・ホークス監督
 合わせて3頭の牛から牧場を始め、土地を守り、14年かけて牧場を大きくし、 食肉牛1万頭になった。牛を市場へ売りに行く為に長い旅を決意する。 長い旅が続くにつれ不満が次第に増大し、造反する。 それらに対して一方の人間は厳しくすることで更に人の不満を募らせ、 他方の人間は寛容に対応する事で人を引き付ける。 締め上げすぎる事で信頼を失い、全てを失いかける。
 愛する女性を失った時のダンスンの悲しみと、 マシューとテスが引き裂かれた状況のテスの感情が一致する。 ダンスンのマシューに対する気持ちと、マシューのダンスンに対する気持ち、 ダンスンの失った女性に対する気持ちと、マシューのテスに対する気持ち、 テスのマシューに対する気持ちと、その女性のダンスンに対する気持ちが それぞれ一致する。 愛する人へのダンスンの想いとテスの想いが重なり合い、 共感するところのシーンが切なくてよい。 また、テスの気丈さによって、2人の仲は回復する。
 ネイティヴ・アメリカンとのせめぎあいより、 ダンスンとダンスンの影におびえる。

『アカルイミライ』 , 2002

 オダギリジョー、浅野忠信、藤竜也出演、黒沢清監督
 未来を夢で見られるという青年の話である。
 現代の若者の一側面を表しているのみなのか分からない映画である。 この映画に出てくる若者は、思考に一貫性が無いというか、理性の欠如というか、脳の機能障害のような行動である。 気遣いも無く、他人のことも自分のことも分からない。自分の気持ちを理路整然と把握できない。行動の予測がつかない。結果の予測ができない。 自分の思い通りにならないと暴れる。4足歩行の動物に人間の悪い知能ばかりを与えたような言動である。意味不明である。 家の屋根に上ってテレビのアンテナを壊し、屋根の上では遠くは見えないということのみが分かったことは唯一の救いではないかと思う。

アガサ・クリスティー サファリ殺人事件』 TEN LITTLE INDIANS, 1989

 犯人と状況を推測すること以外には見所はない。 犯人は誰なのか?と考えさせようというつくりになっていない。 推理の根拠というか、判断の材料を作品中にちりばめていないので誰かを疑おうとする気持ちがわかない。 恐怖感や緊迫感はまるでない。あっさりと死んでしまう。痛みを感じさせない映像である。 殺人の手口やその場面は描かれていないので何も訴えかけてこない。 動機はわかるが、殺される人間はどうして選ばれたのかという疑問が残る。 カメラワークは平凡なもので特異性はない。サファリで暑いはずなのに汗を掻いているシーンはあまりない。 また、水や食料の在庫はどれくらいあるのか、これからどうやって脱出するのかということは何も考えていないのであろうか、 疑問に残るところである。

『AKIRA』 , 1988

 大友 克洋 監督
 アニメーション
 圧倒的なエネルギーの根源として能力を持ち合わせている人間の活用とコントロールを目指す軍と、ゲリラ、暴走族の入り混じったストーリーである。 1988年当時としては、映像はとても魅力的である。また、「力」のなかった人間が、「特別」な力を持つようになり、その特別な力に過信する。 そのうち、その力をコントロールすることができなくなる。コントロールできなくなった男とその力を軍は恐れ、また、かつての仲間はその始末をつけようとする。 破壊と再生(復興)があり、圧倒的で制御できずに、もてあます力の問題を描いている。

『悪人』 , 2010

 妻夫木聡、深津絵里、樹木希林、柄本明、岡田将生、満島ひかり出演、李相日監督
 出会い系サイトで知り合った女性を殺した男とその男と出会いサイトで交流を持った女の話だが、殺人者の周りの人物の心情が描かれている。
 「寂しさ」が根本にあると思う。母親に捨てられた寂しさ、人を愛した経験がない寂しさ、金を持っている人との付き合いを自慢する寂しさ。
 一人が寂しい。それを寂しいと思うかどうか。ただそれだけ。他人の行動を見て、自分の心の隙間に入り込む寂しさ。 結局、出会い系サイトで相手の身分を知らずに知り合い、刹那的な出会いを求める。 根底に、素性を知らず、表面的な情報のみで接してしまう心理が結果として不幸を招くのだと思う。 きれいな格好をしていようとも、高級車に乗っていようとも、素性を知らない人間には変わりはない。
 夕日を見るシーンでは、終わりがあるから、始まりを期待する。次があると信じて。
 樹木希林の存在がすごいと思う。

『悪魔のような女』 DIABOLIQUE, 1996

 シャロン・ストーン、イザベル・アジャーニ出演、ジェレマイア・チェチック監督
 はらはらどきどきするような映画ではない。 犯人は誰かとだいたいわかるような映画だが、何を持って殺意の動機付けとなるのかはわからない。 シスターなら殺人を行うよりも前にその葛藤を感じて欲しかった。 殺人をしてしまったと信じることでもっと神罰を感じて欲しかった。 案外、冷静に構えられたことで気が抜けるような感じがする。 結局誰が犯人であるかと言うよりも、何かぱっとしない感じがしてしまう。

『アサインメント』 THE ASSIGNMENT, 1997

 アイダン・クイン、ドナルド・サザーランド出演、クリスチャン・デュゲイ監督
 1人の男が機械的な戦士となっていく姿が描かれている。 諜報員の男が国家に対するナショナリズムではなく個人的な意地で行動するような姿も見られる。 訓練によって対テロリストの人間に育てられる。その様子は描かれているがそれが本当に現実的なのかどうかはわからない。 テロリストの行為も、それを取り締まる行為も現実味がある向社会的な行為ではなく、反社会的な行為であるようである。 全体的に中央情報局の一員としての行為ではなく、個人の行為のようにも感じられてしまう。 組織の中の一員として行動しているようではなく、極めて個人な行為の感じがしてしまう。 車で逃走するシーンなどはスピード感があり、全体的にストーリーは面白い感じがする。

『アサシンズ』 Assassin(s) ,1997

最初の部分は、BGMがなく、普段の生活の音が使われている。 電車、バス、車、雑踏、テレビの音など。
 テレビの無機質な音、つけている限り永遠に音が流れる。 映像を見ていようと、見ていまいとまったく関係ない。音も無機質に流れ続ける。 テレビがついている部屋の世界がどうなっていようとそれはまったく関係ない。ただ映像と音が流れている。
生きる意味、死ぬ意味、殺す意味、殺される意味。
 何のために殺し、何のために殺されるのか。 疑問を持つ男、割り切る男。伝統を重んじ、職人にこだわる男。そんなものは何も重んじない男。 どの世代の人間でも文明の波に乗れない人間たち。これから育っていく人間。これから老いていく人間。自分の老いを認めたくない人間。 テレビの世界と現実の世界。だれにも期待されない子供たち。社会でも、学校でも、家庭でも受けいられない。自分の受入先を求める。 期待に答えるために、葛藤する。
 罪悪感を認知する人間と、認知しない人間。 無秩序な世界。
ガラスに映った自分。客観的に見た自分。変わってしまった自分。 自分の気持ちを相手の態度に投影する男。
 苛立ちながら、テレビのチャンネルを変えていく。不協和を感じる。何かが違うと思う人間。 居心地が悪い。自分の気持ちをきちんと理解できずに苦しむ。何かをだれかに伝えたい。 しかし、それが分からない。だれに何を伝えたいのかわからない。 自分の意思を表現できずにいらいらする。だれにも相手にされない。 すき間がある。表面的にはつなっがっている。しかし、深部ではつながっていない。

『明日に向かって撃て!』 Butch Cassidy and The Sundance Kid , 1997

 ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロス出演、ジョージ・ロイ・ヒル監督
 最後の場面で、静止画像になり、声と音だけになるところは、映像を見なくても二人の最期が物悲しく想像できる。 映像となっていないことで、二人の最期の生き様に余韻を持たせた表現となっている。 女教師が二人と共にボリビアに行き、二人よりも先に去るということは、彼らを理解している、していないは関係なく、二人の生き方とは方向が異なっていたことを感じさせるものである。 現に、彼に会うことで退屈な日常から刺激が受けられるといっていたことも裏付けられるであろう。 退屈な状態から主体的に変えようとするのではなく、状態からただ逃れる、 または刺激を与えてくれる人に会うということは、その退屈な状態が主であっても必ずしも悪くはないということであろう。 一方、彼らは、列車強盗を繰り返し、執念深く追われることとなり、ボリビアに夢を見、現地の閑散とした状態に落胆し、再び銀行強盗をするような生活である。 女教師との生き方の違いがこの映画を単調なものではなくしているように思う。

『明日の記憶』 , 2005

 渡辺謙、樋口可南子、坂口憲二、吹石一恵、水川あさみ、袴田吉彦出演、堤幸彦監督
 若年性アルツハイマー病と診断されたサラリーマンが次第に記憶を失い、後に家族を認識できなくなる。
 病院で若年性アルツハイマー病と診断された直後の夫婦の会話のシーンや、会社を退職した時のかつての部下に名前入りの写真をもらうシーンなどが印象に残る。
 記憶を保持できるかによって社会での居場所が決まってくるようでとても恐ろしく感じてしまう。 人は社会の中で生きていかなければならないので、日常生活が1人でこなせなくなると途端に人とのつながりが断たれてしまう。 家族として生まれ、家族に育てられ、新しい家族を作り、家族として育てる。改めて家族という単位の重要さを感じさせてくれる。 記憶を失い、認識や判断ができなくなり、自律することができなくなる。 人間としての尊厳を保つことが重要かどうかということがなんだかとても難しく感じてしまう。

『あずみ』 , 2003

 上戸 彩、原田芳雄、佐藤 慶、伊武雅刀、オダギリジョー、竹中直人出演、北村龍平監督
 日本映画
 刺客として育てられ、いろいろと苦難を乗り越えながら徳川への反乱分子を抹殺する使命を果たそうとする。
 それほど格好がよいアクションではなかった。もっと、際立ったものがあればよかったと思う。上戸 彩はすこし幼い感じがした。 もう少し、慕情や本格的な冷酷さや鋭い感覚が欲しいように思う。 もっと感情を出すのか、または感情を押し殺すのか、その感情を押し殺そうと努力するのか、感情面でも表現豊かな映画であればいいと思う。

『あずみ2 Death or Love』 , 2005

 上戸 彩、石垣佑磨、栗山千明、小栗 旬、北村一輝、高島礼子、平幹二朗出演、金子修介監督
 刺客として真田昌幸を討つため、仲間たちと使命をまっとうしようとする。
 前回よりは幼さが無くなり格好がよくなっている感じがする。また、敏捷さが映像によく表れている。しかし、セリフが下手である。 なお、内容的には短絡的な部分はあるが、全体的にはまぁ見られる映画である。 個人的には、こずえ役の栗山千明がよかった。

『APPLE SEED  アップルシード』 , 2004

 荒牧伸志監督
 アニメーション
 ヒト社会の緩衝材の役割のために造られたバイオロイドは感情を抑制され、生殖機能を持たない。 その生殖機能を持たせるための基礎データはアップルシードと名づけられ、研究者により隠される。 アップルシードを見つけ出し、バイオロイドの生殖機能を持たせようとするが、その裏にはいろいろな思惑が隠されていた。
 内容はともかく、映像に関して、人物はディテールがつぶれている感じでリアリティに欠ける。また、ハイライトが強く、嘘っぽい映像である。 ゲームの映像を見ているようであり、人物の顔の表情が無いのでへたくそな演技を見せられているようである。 音楽も感情を高めるようなものではない。

『アナコンダ』 ANACONDA, 1997

 ジェニファー・ロペス、アイス・キューブ、ジョン・ヴォイト出演、ルイス・ロッサ監督
 『ジョーズ』 スティーブン・スピルバーグ監督、1975 で使われているような特徴的な音楽はないが、襲われる時の恐怖感はとても出ている。 頭の中に残っている巨大ヘビの記憶に怯えるさまはよく表現されている。 水中から撮られている映像は緊張感を誘うものになっている。 そこに船上(地上)から撮られた映像がつづいて見えない水中がいっそう不気味に表現されている。 水面の上と下の映像が交互に続くとはらはらとする緊迫感がよく伝わってくる。 また、人間対巨大ヘビだけではなく、撮影隊に加わった一人の男のために人間同士の対立が生じる。 その男のために計画はだめになり、当初の目的とは違うことを強いられる。 嫌な役をきちんと嫌な奴として演じられている。 巨大なヘビもそれほどCGが使われていると思わせないところも良い。 ヘビという下等動物が持つ、情動や不安、恐怖を示すイメージを巧みに使い、人間の中にある気味悪さを増幅させている。

『アナライズ・ミー』 Fire Birds, 1999

 ロバート・デ・ニーロ、ビリー・クリスタル、リサ・クードロウ出演、ハロルド・レイミス監督
 マフィアのボスのセラピーをすることになった分析医とそのボスが問題を克服させるまでを描く。 コミカルな感じでボスにセラピーをはじめるが、きちんとセラピーの核心にせまり、ボスは回復し、更正もする。 FBIから渡された盗聴器をトイレではずすシーンがとても笑える。

『あの子を探して』 一個都不能少, 1999

 ウェイ・ミンジ、チャン・ホエクー、チャン・ジェンダ、カオ・エンマン出演、チャン・イーモウ監督
 中国・アメリカ合作
 1ヶ月間のみの臨時として、農村へ教員をするために13歳の少女がやってきた。 正規の先生との約束として1ヶ月間に児童が誰もやめないで残っていることを果たそうとする。 授業は児童との信頼関係もないままただ黒板へ板書をし、教室に閉じ込めて児童に書き写すように言うだけであった。 ある日、一人の児童が町へ出稼ぎに行かされたという事を聞き、児童を探しに行こうとするが、町までのバスの料金を払うお金を持っていなかった。 そこで、児童に料金を聞き、往復の料金がいくらになるか、さらに、何日働けばその料金が賃金でまかなえるかを考え計算させる。 児童とともにレンガを運ぶ仕事をしたりするが、お金をためることができず、ヒッチハイクしながら歩いて町まで行くことになる。 町でいろいろな人に探す方法を聞き、ひとつのある方法にたどり着く。
 過疎部の農村には設備も用具もなく、学校へ行くことのできない児童がいる。 その現状を訴えて、寄付金をもらったとしても、それは決して恒久的な対処法ではなく、一時的な解決策でしかない。 過疎化の問題、教育の問題などどこの国でも問題となるテーマであり、臨時教員の少女と児童との交流を描く。


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