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映画の感想

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『バーティカル・リミット』 VERTICAL LIMIT, 2000

 クリス・オドネル、ビル・パクストン、ロビン・タニー、スコット・グレン出演、マーティン・キャンベル監督
 全体的に心地よい印象が残る作品ではない。
 遭難する経緯に無理があるように思う。最初の設定に無理があるので、次から次へとくる過失?、故意?、災難?、脅威?が『自然』じゃないように感じてしまう。 プロと素人が入り混じり、誰がプロなのか、みんな素人なのか分からない行動に出る。 なんら計画性も計算も理性もなく、無理やり生かされ、殺されている感じである。 自然の脅威や驚異を重んじることなく、人間の清心や誠心を感じることも無く超自然的な結果で終結する。

『バード・オン・ワイヤー』 BIRD ON A WIRE, 1990

 メル・ギブソン主演
 ユーモアのあるカーチェイスは見所がある。逃げるシーンはいろいろと緊迫感が出ていて見ていて飽きない。 ある事情で追われる身となり、身元を隠すためにいろいろな職業をして暮らしていたのだが、 以前の恋人と偶然出くわす。恋人のほうは遭遇したがために彼と伴に逃げる羽目となる。 シンプルなストーリーであり、見ていて疑問に思うことまあまりない。 無茶な銃撃戦もなく、いろいろな乗り物に乗り換えて逃げるため、単調な感じはしない。 バイクで逃走するシーンと、動物園で悪役を倒すシーンは良い。

『バートン・フィンク』 BARTON FINK, 1991

 狂ったゆがんだ内面、矛盾だらけで偽善だらけの世界。 後ろ向きの女性が写っていているように写真のように向き合っていない。人と対面していない世界。別の方向を向いている。 美しいものを求めていて普段はそれに気づいていない。ゆがんだ視点を持っている。 求めているものとは程遠い現実の日常がある。 リアリティのある世界であり、魂を映し出している世界である。 魂を繁栄している。自分には無神経であり、他人には神経質である。 自分本意の平凡な日常であり、異常な精神世界である。 呼び鈴の鐘の音や、壁紙のはがれ具合、響く音やむき出す内側。 正常ではない空間。

『バスケットボール・ダイアリーズ』 The Basketball Diaries, 1995

 レオナルド・ディカプリオ、ブルーノ・カービー、ロレイン・ブラッコ、アーニー・ハドソン、マーク・ウォルバーグ出演、スコット・カルヴァート監督
 ジム・キャロルの『マンハッタン少年日記』を基に作られた映画。バスケットボールに夢中の高校生がドラッグにおぼれていく話。
 健全な体には健全な魂が宿るというが、彼ら高校生には健全な魂が宿らなかったようだ。 ちょっとしたきっかけからドラッグの中毒になる。自分だけはドラッグを辞められると思っているが、その時点ですでにやめることができなくなっている。 ドラッグを手に入れるために、わずかな金でけんかになる。瞬間的な快感を得るため、また、はした金のために窃盗、暴行をする。最終的には殺人にまでいたる。
 社会を構成しているのは人間であり、人間は家庭でしつけられ、育てられる。 家庭が十分に機能していない場合には、大人になる過程で転がり落ちる誘惑に負けてしまう恐れが多くなるだろう。 家庭における情操教育、しつけが結果的に正常な地域社会を構成するようになる。まともな地域社会があれば、ドラッグにおぼれる高校生が生まれることは無いだろう。 雨にうたれ、すべてが洗い流されるのなら、人はリセットできるのだろうに。

『バチェラー・パーティ』 BACHELOR PARTY, 1984

 トム・ハンクス出演
 とても笑える作品である。アメリカ人のユーモアが感じられる。スクールパスの運転手の 結婚までの騒動を描いている。 プロの女性を招いてホテルでパーティを開いて独身最後の羽目を外した遊びをしようとする。 そのパーティの間に起こる事柄がとてもユーモアにあふれている。 また、とてもばかばかしい楽天的な笑いを含んでいる。 3D映画をやっている映画館での出来事がとても笑えるものとなっている。 観客が映画と実際に銀幕の前で喧嘩しているのを3Dだと勘違いしてみているシーンはとてもおかしい。 観客のばかばかしさと白々しさがとても面白おかしく描き出されている。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 BACK TO THE FUTURE, 1985

 マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド、リー・トンプソン出演、ロバート・ゼメキス監督
 なかなか面白いストーリーである。知り合いの科学者がタイムマシンを作り、高校生のマーティはタイムマシンで過去へ行き、偶然の出来事で結婚する前の両親と出会う。 自分の母親に会ったことで、両親が結ばれなくなるおそれが発生し、両親を結ばせるために奔走する。 マーティが過去に行ったことで両親に別な影響を与えていて、過去に行く前の家族とは違った家族となっていた。 ここの部分が現実的なようで現実的ではない印象を与え、夢のある映画となっているように感じる。 リアリティのなさがある意味で夢を与えてくれるものだろう。

『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』 BACK TO THE FUTURE PART2, 1989

 マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド、リー・トンプソン出演、ロバート・ゼメキス監督
 未来の息子と助けるために、ジェニファーをつれて未来へ行く。未来へ行ったことでさらに過去が変化してしまう。その修正をまたまたしようとするが・・・。
 時の流れとしてやはり、過去へ戻るということは将来にとっていいことはないということであろう。 修正をすればどこかでゆがみが出てくる。それをまた修正しようとするのでパッチだらけとなり整合性が取れなくなるだろう。 チキンと言われることで理性を失うのは性格的に問題があるように思う。また、不正を働き自分の私利私欲に走るとそれは成功へ導くことはなく、破滅へ向かって突き進むことになるということであろう。 車の鍵をかけ忘れたりしてはいけないということも含まれている。 ある爺さんは、燃料切れを起こすこともなく、タイムマシンを操作できたことはすばらしい。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』 BACK TO THE FUTURE PART3, 1990

 マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド出演、ロバート・ゼメキス監督
 タイムマシンがあると時間の流れを根本的に壊してしまうおそれがあると感じる。 現代人が100年も昔に戻って、そこで生活するということはとても無理なような感じがするが、 簡単に馴染んでしまうさまは少し笑えてしまう。未来の道具を使って過去の出来事を変えてしまうことで そこからの未来の出来事が上書きされてしまう。もし自分の身のことであるならばこんなに必死になることはないだろう。 現実問題はともかく、過去に戻って過去の時間の流れを操作できるということは一度はやってみたいという好奇心と それをやってしまっては人生そのものの意味が問われるという感じがしてしまう。 未来のことであるのに、過去の時間のことというややこしさがこの作品の見所であろう。

『バックドラフト』 BACKDRAFT, 1991

 消防士の話である。紆余曲折しながら消防士を天職となる。 小さい時から消防士に馴染みを感じながら、ある事情からすんなり消防士になることができなかった。 いろいろな職業を経験しながら最後に消防士となる。 消防士の中にもそれぞれの思いがあり、それにそって行動している。 火の中に飛び込んで人命を助けようとしたり、自ら火事を起こして人を殺そうとしたりする。 人間がそれぞれ意志を持って命を救ったり失わせたりしている。 そういう中で消防士として自分を養っていこうとする。

『バッド・インフルエンス 悪影響』 BAD INFLUENE, 1990

 何かを得れば何かを失うことになる。そのバランスが大切である。自分にとってどれが良いのかを考えなければならない。 やましいことをすれば、どこかでびくびくすることになる。その不安定さを克服できる人間はそういない。 失うものがある。失うものに未練を感じるのはそのものが大切であるからだ。 それは物質的なものばかりではない。人の感情や信頼など不確かなものもある。 その不確かなものはとてもあいまいであり、得がたく失いやすい。 それらは金では買えず一瞬で手に入るわけではない。時間をかけて積み上げていくものである。 人の外側と内側は絶えず同じということではない。hipocricy 偽善がそこにはあるという。 内側では考えていなくとも、外側ではそのように振舞う。またその逆もある。 人間にはその人らしさがあり、それらを失うということはとても悲しいことだろう。

『バッド・ガールズ』 BAD GIRLS, 1995

 西部劇。災難に遭うたびに4人は強固に繋がっていく。 同じ境遇を体験するたびに4人の親近感が高まる。つらい目にあうことで4人の気持ちが強まる。 女性という地位が確立していない時代に女性のみ4人で自分たちの立場を保障しようとする。 銃撃戦はあまりあたらないところが西部劇のように感じる。 銃の精度などはあまり高くないということを考えれば至近距離を除けばあたらないのが当然だと思う。 最後に4人が同じ道を歩まないというところは逆に面白いのかもしれない。 迫力とか緊張感は感じないが、それはそれで良いのだと感じる。

『バッドボーイズ』 BAD BOYS, 1993

 マーティン・ローレンス 、ウィル・スミス ティア・レオーニ 、チェッキー・カリョ、 ジョー・パントリアーノ出演、マイケル・ベイ監督
見終わって一番最初に感じたことは、とりあえずみんな良くしゃべっていたなという印象だった。
人の話を聞いているのかどうかわからないが、  自分の言いたいことは必ず言うというポリシーを持っているようにさえ感じた。 作品自体は、テンポ良く進んでいき、飽きさは感じられない。 上からや下から全体をなめるようなの映像が多く使われていた。 二人の人物像も信頼しているのか、信じていないのかわからないような言動をしていて、 ことがうまくいけば、OKであり、悪くいけば、罵倒する。 このような調子のよさを感じさせる。 車のシーンは迫力はあるが、更なるスピード感が加わればもっとスリリングになるように思う。 とりあえず良く爆発するシーンがある。全体的に、歯切れのいいすっきりとした感じがした。

『バッドボーイズ2バッド』 BAD BOYS 2 BAD, 2003

 ウィル・スミス、マーティン・ローレンス、ガブリエル・ユニオン、ジョー・パントリアーノ出演、マイケル・ベイ監督
 前作は、こじんまりしていて、違和感もそれほど無くなじみやすいものであったが、今回はスケールはずいぶん大きくなり、 かなり派手さは増したが、その分現実離れした感じがした。 しかし、要所要所にばかばかしい笑いが含まれていたので、この点は前作以上に笑える点であった。 ただし、俗語が使われていたのは多少いかがなものかと思うところであった。 作品中に出てくるストレス解消方もかなりの間抜けぶりであるが、 現代人というのはこのようなことをしている感じであり妙に納得するものがある。 勇気を振り絞ることと、無茶に無謀をはたらく事は異なるのだが、 無謀な事に対して、コメディ調の面白おかしい間抜けな部分が対照的で、単なる撃ち合い、壊し合い、殺し合いではない作品となっているように思う。
 フェラーリが別の車をかわすシーンはもう少し、リアリティがある映像を 合成?して欲しかった。スピード感を出す為に全体を映し出すのではなく、 クローズアップで車体の一部分のみを映し出すのはいいが、 スピード(速度)のシャープな部分がぼやけてしまう感じがする。 モータースポーツのように車載カメラの映像の方が高速での動きが良く分かるように思う。 最後の方の車が斜面を落ちていく?シーンは、ジャッキー・チェンの映画のシーンとかなり似ていたように感じた。

『バッファロー'66』 Buffalo'66, 1998

 ヴィンセント・ガロ、クリスティーナ・リッチ、アンジェリカ・ヒューストン、ベン・ギャザラ出演、ヴィンセント・ガロ監督
 過去の憧憬と過去の恨みによって今後の人生を棒に振るか、それとも奇妙な縁で知り合った女と生きていくかの選択をする。 自分の人生が歪んでいるのは、家庭環境によるものである。 しかし、その両親を喜ばそうと偽りの妻を家に連れて行く。 そこでの会話はむなしいものであり、蔑ろにされている。 会話も成立せず、両親は互いに自分の世界へと浸っている。 それを邪魔するものは気に食わない。食事を終えて、別れるシーンが家族の関係を象徴している。 両親は当たり前のように別々の部屋へ行き、息子との別れを惜しむ感じもない。 社会の元となるのは、家族であり、その家族が成立していないのなら、社会にそぐわない人間が育つのは無理もない。 生育過程も含めた家族のあり方が問われているように感じる。 しかし、似たような境遇だから、または、同情できるから二人の関係がうまくいくというものではないことは、時間がたてば互いにわかりきったことである。 なお、それ以上のものがあれば互いに理解できるであろう。

『バベル』 BABEL, 2006

 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督
 子どもが遊び半分で観光バスをライフルで撃つ。その狙撃をきっかけにストーリーが展開する。
 この映画だけを見ると何を言いたいのか分からない気がする。話が銃だけで繋がっていて唐突過ぎる。なんだか主張を誇張しすぎである。 単に言いたい事の断片を凝縮させた感じである。生活してきた背景やそれまでの時間を無視したような変な感情の起伏が気になる。 普段アルコールを飲まない高校生がウィスキーなどを楽しげに飲めるのだろうか。また、女の子たちが会うたびにハイタッチなどするのかなと疑問に思う。 また、特に映す必要がないものを単純に映しているだけの印象である。

『バラの選択』 FOR LOVE OR MONEY, 1995

 マイケル・J・フォックス主演
 万事全てがうまくいくストーリーである。コンジェルジェ、ホテルなどに配置されるサービス係、 案内係、としてホテルを円滑に運営している。 原題のように愛とお金を求めて奮闘する。自分が恋する女性と微妙な関係を保ちながら徐々に分かり合っていく。 自分の夢を追うためにお金を持っているパートナーを探す。 やがてパートナーを見つけ、自分が恋する女性とお金の間で苦悩する。 自分の夢を実現させてくれるパートナーを選ぶと彼女のほうはあきらめないといけない。 彼女のほうを取るとパートナーを失うことになる。女性を選ぶかお金を持っているパートナーを選ぶかで悩む。 最後には、for love となり、結果的に両方 love and money を手に入れることとなる。

『薔薇の素顔』 COLOR OF NIGHT, 1994

 ブルース・ウィリス主演
 セラピストであるのに、その彼自身が病気ではセラピーを受ける患者はどのような印象を持つのであろうか。 患者たちは同一人物にそれぞれ振り回されているのだが、その1人の女にそれぞれの男たちが魅力を感じたのかどうかが疑問に残る。 それほどその女性はオールマイティであったのであろうか。 また、女性が交代人格を作ったいきさつなどは語られていたが、その兄の話をもっと掘り下げたほうがスッキリとしたストーリーになるのではないだろうか。 弟がある犠牲になって自殺したのだが、兄はどうして弟に同じことをさせたのだろうか。 兄自身の体験を弟に共有させたくは無かったのであろうか。兄自身の歪みをもっと露出させるともっと分かりやすい話になったであろう。

『PARTY7』 PARTY7, 2000

 永瀬正博、浅野忠信、堀部圭亮、小林明美、岡田義徳、我修院達也、原田芳雄、島田洋八、松金よね子、岡本信人、大杉漣主演、石井克人監督
 笑えるばかばかさがある。『鮫肌男と桃尻女』のように、なんだか変な人たちが変なことをまじめにやっている。 まじめにやっているから、さらにばかばかさが増している。誇張されているが、こんな人間が増えてきたような感じがしてしまう。 人間の内部の幼稚さや、陰湿さが表れている。ホテルの一室や、盗視するために作られた空間など 周りとは隔離された空間で、人間の本能的で普段は隠しているような感情を顕にしている。 何が冗談で、何がまじめで、何が正気で、何が異常なのかがわからない余韻がある。

『パードレ・パドローネ 父』 Padre Padrone, 1977

 "survive" がテーマの一つであろう。
 生きるのに必死で、自分を殺している。生活をすることが目的で「自分」を持つ必要がない。 生活に追われている。生きるという根本を追求してる。精神世界などという言葉は存在しない。 自分らしさということは不要のものだ。生きるための糧を得ることが第一条件だ。 父が子に、子が羊に威圧的な態度をとる。人間の根本の感情が表れている。 他者の死によるそれぞれの人々の思惑。死を悲しんでいる余裕はない。
 父による抑えつけが子を歪めてしまう。絶えず父を恐れる。子は多動になる。 自傷行為までもするようになる。父からの解放を願う。「土地」に帰属するのではなく、土地を憎む。 しかし、この土地にこだわりつづける。
 父によって生きる道を決められる。農作業にはいらない学問。学ぶことを知った人間。 学ぶことを知らない人間。虐げられた人々。虐げられた家族。自分のやってきたことを当たり前のように押し付ける父親。 世代交代、老いる人間、自分が古くなってゆく。取り残される。受け入れられなくなってゆく。 自分のために生きるのではなく、生活のために生きる。それで精一杯。

『パーフェクト・ストーム』 THE PERFECT STORM, 2000

 ジョージ・クルーニー、マーク・ウォールバーグ、ジョン・C・ライリー、ダイアン・レイン、ウィリアム・フィクナー出演、ウォルフガング・ペーターゼン監督
 事態の確からしさとその結果の組み合わせ、事態の発生確率とその結果の組み合わせにおいて、 ある選択をしたことですべてを滅ぼすこととなる。 成功する確率とその成功報酬という結果において、はたしてそれほど見合う報酬であったのであろうか。 反対の失敗する確率とその失敗してすべてを失うという結果において、それほど回避しなかった理由があったのであろうか。 事態が起こってから勇気や希望を持つことはとても大切であるが、判断の根拠において名誉を重んじたり、勇気や希望はとても危険であることに違いはない。 野望と無謀は全く異なるものであろう。無策で事態を乗り切ろうとすることはただの無謀に他ならない。
 嵐自体の表現は悪くはないが、あれほどの波で、それほど怪我をしないものなのだろうか。救助隊も中途半端な役割だったように思う。

『パーフェクト・ブルー』 Perfect Blue, 1997

 今 敏監督
 アニメーション
 かつてのアイドルだったマネージャーが、自分の理想のアイドル像を追い求めて妄想する。 自分のアイドル像を新人の女優に投影する。かつらをかぶることによって自分がその人物に成り代わっていると錯覚する。
 光と影の対比は興味深い。光が影を追いかける。 影が光を追いかける。自分の影の部分が光を侵食する。 ガラスと鏡に映る自分。どちらが本当の自分かわからなくなる。「鏡像関係」がある。
 自分の不協和と葛藤が解決されないまま錯綜する。現実の世界と、ドラマの世界。インターネット上の自分と、現実の生活を送っている自分。 仮想が現実を脅かす。「クラインの壷」のような感じとなる。もう一人の自分を作っていく。心の中の捨ててしまったもう一人の自分。 新しい自分を作るのに、古い自分を抹殺しようとし、抹殺しきれない。自分が選んだ道。自分が選ばなかった自分の道。他者に決められた自分の道。 これから進んで行く時の本当の自分、その道。
 もともと、人格とは 知覚、思考、感情、意思が能動的に自身から発する物として体験され、外界から独立した存在であり、自己は単一であり、時間軸において同一であると言う自我意識である。 2つ以上の異なる自我同一性または人格状態の存在を示す解離性同一性障害(多重人格)なのであろうが、人格交代するトリガー(引き金)が明確に描かれていないように思うので、情緒的ストレスがどのようなものだったのかは明確にはわからない。 また、幼少期の虐待体験、強いストレスなどはあったのだろうか。
 色々と楽しめる映画となっている。

『パーフェクト・ワールド』 A perfect world, 1993

 クリント・イーストウッドが出る必要がないような気がする。 子どもと犯罪者の一体感や連帯感は理解できる。自分の幼少時代の記憶と、現在少年として生きている子どもの心理的繋がりは容易に察することができる。 しかし、犯罪者は所詮犯罪者であり、まともに生きている人間はまともに生きている人間だ。 表裏一体なのかもしれないが、そこには決定的な違いがある。 心の内側に思っていてもそれを実行しない人間と、自分の感情に任せて行動する人間がいる。 この違いはとても大きい。 感情のままに行動する人間は自分を抑制する素質を失っている。しかし、自分の感情をコントロールする人間は、 前者とは全く違う。理性を働かせて自分の感情を抑制している。 思うことと実際に行動することとは違う。いかに、危険なことを考えようとも、それを実際に実行するのと実行しないのとは天と地の違いがある。
 宗教は自分で選ぶことのできないものかもしれない。土地柄であったり、自分の親の信仰を受け継ぐことが比較的多い。 自分で選別することは稀であるかもしれない。宗教は大人になってから選別しても良いのかもしれない。 宗教を子どもの時に選別できないのは将来にとっては酷かもしれない。

『ハーモニーベイの夜明け』 Instinct, 1999

 アンソニー・ホプキンス、キューバ・グッディングJr、出演、ジョン・タートルトーブ監督
 コミュニティの一員として仲間を守ろうとする。 そこには、管理、独占、支配、野心ではなく、peace やharmony 生来の傾向があるという。また、それを求めようとする。 権利の平等が与えられている社会を当然のこととし、権力や支配力によって操作されているコミュニティを嫌う。 現代社会では幻想に取り付かれた人間が多くいる。 人間が野生に戻るのではなく、野生に存在している、 および過去にあったであろう、peace やharmony 生来の傾向がある社会で生きようとする。
 心を解きほぐして動機を聞き出すために接見する。かかわりすぎであったり、のめりこみすぎのような印象もあるが、 真実を聞き出すことに成功する。なお、真実を聞き出す過程で自分の生き方を見直すことになる。

『パール・ハーバー』 Pearl Harbor, 2001

 ベン・アフレック、ジョシュ・ハートネット、ケイト・ベッキンセイル出演、マイケル・ベイ監督
 全体的にアメリカ人の視点で描かれているように感じる。ドキュメンタリータッチでもなく、 戦争の惨劇を描いているわけでもなく、ラブストーリーでもないような印象を持つ。 全てにおいて『意味』がぼやけているようで曖昧な感じがする。 全体にメッセージ性がなく中途半端である。誰か一人に焦点を当て回想的にするとか、 第一人称の視点をもっと増やとかしたほうが、リアリティが出るように思う。 CGを使ってこれまでにない映像を作り上げようとするばかりに、 肝心な人物像が薄くなっているようである。薄っぺらい人物像に思えてしまう。 何人かの特定の人間を取り上げているが、その人間の個人的な特性が感じられない。 全ての登場人物がその他大勢のようであるが、記録映画の様子も微塵もなく、しかも断片的な場面の映像が全体の映像とかみ合っていなく、 単に一貫性のない、ばらばらな映像が流れているだけのように感じてしまう。 個々の場面を取り上げ、そこに焦点を当て、そのような場面をいくつか集めて全体の様子(意義)を伝えようとする感じの作品でない。 人々の『意思』が作品の中であまり感じられない。

『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』 PIRATES OF THE CARIBBEAN: DEAD MAN'S CHEST, 2006

 ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイ出演、ゴア・バービンスキー監督
 少し長い感じがする。スケールは大きいが、アクションをするためにストーリが延びているような印象がある。 義理や人情、怨念や裏切りなど心情的なものは簡単に描かれている。 しかし、全体的には、奇妙さやばかばかしさが出ていて楽しい感じである。 映像としては、海賊達や海賊船はきれいではないが、十字架島の砂浜や海はとてもきれいである。 描写として、エリザベスをさらに格好よく、ずっときれいな役に映しても良いと思う。

『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』 Pirates of the Caribbean:The Curse of The Black Pearl, 2003

 ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、ジェフリー・ラッシュ、キーラ・ナイトレイ出演、ゴア・バービンスキー監督
 海賊のジャックは船を奪いに一人で港に立ち寄る。誤って海へ落ちたエリザベスを助けるためにジャックは海へと飛び込む。 エリザベスを助けるが、自分の身分がばれて牢屋へ入れられてしまう。 そこへ海賊船ブラック・パールがエリザベスの持つ金のメダルを奪いに港を襲いにくる。 海賊によりメダルとともにエリザベスはさらわれてしまう。 エリザベスを助けるためにエリザベスに想いを寄せる鍛冶職人のウィルがジャックとともに軍艦を奪い出航する。
 船の上でのシーンよりは陸上でのシーンが多い。勇敢で嘘つきで正直者のジャックの性質が海賊らしくなくて良い。 ジャックは腕の立つウィルとは外見上も対照的である。エリザベスは身分が高く、アクティブに行動するが女性らしさを残している。 海賊の "the Code"(掟)が"guidelines"(ガイドライン、心得、指針)という解釈は面白い。 鍛冶場でのジャックとウィルの対決シーンは見所のひとつである。
"Compelled by greed, we were, but now we are consumed by it."
greed(強欲)に支配されたら身を滅ぼすこということだね。

『パッチ・アダムス』 PATCH ADAMS, 1998

 ロビン・ウィリアムズ、モニカ・ポッター出演、トム・シャドヤック監督
 何かを学ぶにしても動機付けがしっかりとしていると身につきやすい。 安易である動機であればあるだけ、途中で挫折することとなる。 やる気ということという面でも体制に沿うものと沿わないものがある。 個人としては有能でも組織として不要ということもある。 何かを得ることもあれば、失うこともあり、 また、歓喜に満ち溢れても、絶望のふちへ追いやられることもある。 人に気持ちにより、生を高めることもできれば、低めることもできる。 人間は意思によって左右され、支配されている。 それだけ単純でもあり、歯車が狂い外れるととても厄介となる。 一喜一憂する精神とそれに伴う身体への変化、それを含めた人生を描いている。

『パトリオット』 The Patriot, 2000

 メル・ギブソン、ヒース・レジャー、ジョエリー・リチャードソン出演、ローランド・エメリッヒ監督
 アメリカ独立戦争を舞台に、父と息子たち、家族を描く。独立戦争での戦いとその戦果を中心に進むのではなく、 独立戦争に参加した息子と戦争によって犠牲になった家族の内容を強く感じる。 私情や状況によって戦争に参加をする気持ちのほうが大義名分よりも底力は強いのかもしれない。 多くの民衆は民族主義的なつながりを持ち、敵を憎むことによって自分たちの正当性を保持しているように感じる。
 家族がいて、太陽の下で日にあたり、畑を耕し、家畜を飼う。 汗をぬぐい、水を飲み木陰で休む。 生命の源である生きるという人間の健全な意思や肉体、 それらを使う労働と、赤い血を流し、町を焼かれ、家族を失う戦争という黒々とした憎しみの災いがとても対照的な印象がある。

『パトリオット・ゲーム』 PATRIOT GAMES, 1994

 ハリソン・フォード、アン・アーチャー、パトリック・バーギン出演、フィリップ・ノイス監督
 民族紛争や、宗教問題はとても複雑で簡単に解決はできるものではない。 しかし、この作品の中には、それらの問題とは関係のない個人の感情が入り組んでいる。 大義のない個人の感情の戦争には民衆は賛同しないだろう。民衆の賛同のない戦いは敗北の道をたどるだろう。 この作品の原点は個人の感情が民族や宗教の主義や主張を凌駕しているところである。 主義、主張をそっちのけにして感情に身を任した行動は、意味のないテロリストと同じであろう。
 この作品は、映像がとても良いものとなっている。カメラの角度や、映像の写し方がとてもよい。 人物の肩越しから撮っていたり、足元から上向きに撮っていたりしてするシーンがその状況の雰囲気を効果的に映し出している。 また、映像と音を必ずしも一致させないシーンがあり、映像と音を一致させないことでよりその場の状況を表現しているように感じる。 短調なカメラアングルではないので飽きることなく見ることができる。

『パニック・ルーム』 Panic Room, 2002

 ジョディ・フォスター、フォレスト・ウィテカー、ドワイト・ヨーカム、ジャレッド・レト出演、デイヴィッド・フィンチャー監督
 離婚をして、母と娘はシェルターのような緊急避難用の室、パニック・ルームがある家を借りる。引越しをしてきた当夜、3人の強盗が侵入してくる。 この家の前住人が残したという遺産を盗みに来たのだった。しかし、その遺産は当のパニック・ルームに隠されていた。 強盗が侵入したことを察知し、当然のようにパニック・ルームに非難したことで、強盗との攻防が始まる。
 進入は不可能だが、いろいろと不備があり、それほど安全ではない室である。 ガスを引き込まれたり、食糧なども備蓄していなく、空気口のような穴もあり物理的な人間の侵入のみを防ぐような構造である。 緊張感はそれほどない。

『パプリカ』 , 2006

 今敏監督
 アニメーション
 精神医療総合研究所で開発された人の夢の中に入り込みセラピーを施すことができる機器が誰かに悪用され夢が犯されてしまう。機器の開発者たちが犯人を探し出そうとするが。
 前半部分は興味深く見ていくことができるが、次第に展開にしまりがなくなっていくような感じがしてくる。 盗んだ首謀者の主張や、トラウマを持っている人間の過去や、性質による問題などが描かれているが、いまいちインパクトに欠ける。 夢の中に入り俯瞰的に状況を見ている女性パプリカも途中から弱々しくなってしまい魅力が薄れている。 最後は登場人物が皆、同じ土俵でごった煮状態となってしまい、ヒーローやヒロインがいない感じである。 もっと、真情を吐露するか、鬱積していたものを吐き出すなどの感情表現があり、さらに人間らしさが表現されていれば良いと思う。

『パルメット』 PALMETTO, 1998

 サスペンス。先入観によって自己を破滅へと導いている。 最初の情報を間違って判断してしまうと、そのことがずっと後に起こることをゆがめていく。 ひとつの壊れた歯車が全体を損なわせるようになる。 新聞記者だった習性からかインタヴューの時のように会話をテープに残す。 それが後に自分を助ける手段のひとつになるのだが、情報を判断する人間のほうが情報を正しく活用できていない。 そこが単純な男といわれる理由なのかもしれない。しかし、単純であり正直なことで最終的に自分を破滅に導くことは無い。 事柄を違えて認めることがいかに危険であるかということが良く分かる。 間違った認識をひとつでもするとそれが連鎖的に事態を悪くする。 誰が得をするのか、誰が利用するのか、利用されるのかを深く考えないと知らぬ間に泥沼に足を突っ込むことになる。 金髪、かつら、金や女に目がくらみ人生を狂わす寸前までことが運んでしまう。


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