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下に美術展(〜2026年)の個人の感想があります。現在、181展の美術展の感想があります。
以下2007年〜に行った美術展の感想
第29回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞) (川崎市岡本太郎美術館)
未だに原発事故関連が芸術なのかという政治的意図を感じざるを得ない。 旧民主党政権の不備が問題になるのなるのなら良いと思うが、まだそこにいるのかなと思ってしまう。 芸術というのは時が止まっていて、今現在を受け入れない、さらに未来志向ではないのかもしれない。 非常に残念だ。
FACE展2026 (SOMPO美術館)
面白い感じもある作品もあるが、全体的にエネルギッシュな感じではない感じがした。
作品に吸い込まれるか、圧倒されるかの感覚でしかないが、平面としてはアイデアも含め少し物足りない感じがした。
VOCA展2026 現代美術の展望─新しい平面の作家たち (上野の森美術館)
徳永 葵氏の≪砂漠に水を撒く≫の作品が印象に残った。これまでの生活と今後のその生活の整理を面白い視点で描いていると感じる。 生活していた物の価値やそのものを捨てる、残すの選択肢があり、それを全くの他人ではない人間が整理する。 これは、今後、多くの人が直面する場面だろう。現実と周りの人の客観性の視点が面白い。
VOCA展2025 現代美術の展望─新しい平面の作家たち(上野の森美術館)
平面芸術だからなかなか難しいところもあるが、吉田芙希子氏の≪Go into the Medailon≫の作品は、 中世から続く男社会の価値観から、現代のポリコレとは関係なく、女性としての地位を確立した表現かなと思う。
FACE展2025 (SOMPO美術館)
入選以外の講評があったかどうかは分からないが、あった方がよいと思う。
個人的には田中優楽氏の≪concession≫がイメージ的に共感できたと思う。
第28回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞) (川崎市岡本太郎美術館)
現代芸術だがアナログ的な作品が多かったような印象だ。後、生と死など終活的な作品が多かった感じがする。 日本そのものが高齢化となり、その象徴なのだろう。
個人的には丸山千香子氏の作品が現代の問題をあらわしているように感じた。 核家族化と子育て、女性の価値観の変化や個人の価値観の変化を面白く表現した作品のように思った。
開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」(東京国立博物館 平成館)
お寺の雰囲気、京都の雰囲気、庭園など歴史もあり独特なものがある。
歴史的な作品や書物ももっと勉強しておけばさらなる感動があったのかもしれない。
若い女性が多かったのはちょっと意外だった。太刀が人気だったのだろうか。
絵画のゆくえ 2025 (SOMPO美術館)
?田桃子氏の作品は独創的な手法で印象的だった。あの手法で人の感情の理想を描ければかなり強烈なインパクトが生まれるのではないだろうか。
FACE展2023 (SOMPO美術館)
昨年までに比べて入選の作品の傾向が変わったような印象だった。
これまではのっぺりした?作品が多かったような気がしたが、今回は純粋に美を追求した作品が多い感じがした。
第26回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞) (川崎市岡本太郎美術館)
今回は興味深い作品が多かったような気がする。
過去の日本の太平洋戦争から現代のウクライナ戦争、原発事故、ジェンダーレスなど扱う作品は多い。 そういう作品とは違って≪MANgaDARA≫の作品は、自分の世代背景と合っていてとても懐かしい感じだった。 また、≪そこに見えて居ない≫の作品は、テレワークの利点と欠点など表現していて自分でも実感している。 あと、≪コラージュ川柳≫の作品は、人それぞれ思うところは全然違うのであろう。 また、自分が置かれている「現状」と一致して共感する言葉があるのもわかる。 現代芸術の作品は普遍的要素より、個人的な要素による共感が大きいのかもしれないと思った。
第25回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞) (川崎市岡本太郎美術館)
ここ2年くらいの世相を反映しているのか、デジタルではなく、人間のつながり、 民族的、エキゾチックな作品が多いような印象である。
インターネットが発達しても、人や物の移動が制限される世の中では、 グローバルという概念が形骸化され、情報はあっても自国の資源や物、人などこれまで培ってきたものが重要になってくるのかもしれない。
FACE展2022 (SOMPO美術館)
基本的に平面絵画という印象の作品である。
全体的に現在の社会情勢的に力強さというよりは柔らかな儚いような安らぎの印象である。その中でも印象に残った作品は、 芹澤美咲氏の≪工≫や木俣創志氏の≪降りてくる気配≫などである。 自分のイメージの中としての美しさや見てみたいような情景を描いている。
今後は力強い作品が選出されるような社会になればいいと思う。
VOCA展2021 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─
美といういろんな意味で心を動かされる部分があまり感じられなかった。
a/morphousの作家の作品が意外性もあり、うまく現実と虚像を合わせていて面白い。 また、長田 綾美氏の≪103,000≫の作品は、現代社会でいろいろと使用されるブルーシートとBB弾という組み合わせで陽と陰の生活を表現しているようで興味深い。
第24回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)
個人的に好きな作品は、藤田朋一氏の≪机上の誉れ-きじょうのほまれ-≫で、戦時中に開発された戦闘機のエンジンのモチーフである。 精巧に作っているように見えて部品の一部を「鳥居」の形にしていたりしてあり、当時の技術の他に日本人の「精神性」も加味した感じが好きだ。
また、原田愛子氏の≪餅田餅男の最期≫は過去の刑罰の仕方を対象を人間ではなく「餅」で再現し映像化している。とてもユーモアのある作品である。
空間芸術的な作品では、モリソン小林氏の≪break on through≫がとても心地の良い空間を創造している。植物の根や葉を金属で作成してあるが、 それを感じさせない再現性と限られた空間での演出がとても素晴らしかった。
FACE展2021 (SOMPO美術館)
2020年が自粛の年だっただけに、作品の全体的な印象がなんとなくぼんやりした、淡い感じとなっていたように感じる。 エッジの効いた作品や迫力のある作品はなかったような印象だ。
それでも澤井昌平氏の≪風景≫は社会風刺的な感じも含まれているようで全体的にはきれいにまとまっているようだった。 また、片野峲乃氏の≪家族鉢≫なんかも視点がおもしろかった。杉山大介氏の≪常なるものは何もない≫は現代美術的作品で精神力動的なものがある印象だった。
FACE展2019 損保ジャパン日本興亜美術賞展
現代芸術はその人がその時点での心境で評価が変わることもあると思う。普遍的な美しさも存在するが、自分がその時点で心情で良いと思うこともある。
黒田恭章 ≪朝を待つ≫がなぜか引っ掻かってしまう。
また、松崎森平 ≪東京≫もはかない、すぐに状況が変わってしまう東京という場所を描いていると思う。時代は動いている。時間はとどまり続けることはないような印象だ。
「第22回 岡本太郎現代芸術賞」展 (川崎市岡本太郎美術館)
Art unit HUST(遠山 伸吾、臼木 英之)の≪In Vitro ―閉鎖⇔連鎖―/ In Vitro ―Cosure⇔Linkage−≫の作品がよかった。 美術展の会場の音からも隔する感覚を得ることができ、美術展にいながらも、隔離され閉鎖されたような印象を感じる。
自己を客観的に感じることができ、自己の過去からのつながり、そして未来へのつながりを担っていると思わせる。
VOCA展2018 (上野の森美術館)
全体的に展示数が少なかったような印象だった。また、パワーやエネルギーを感じるような作品は少なかったように思う。斬新さや昔からの技法なりを駆使したような作品も少なかったように感じる。
なかでも、平良優季さんの作品が色鮮やかで柔らかな印象をもたらす作品で、個人的には好きだった。
FACE展2018 損保ジャパン日本興亜美術賞展
≪lovers≫という作品が、イメージを沸かす。自分の過去の記憶、憧憬などを自己の都合の良いように再認識させる。もちろん、数年後にはまた違ったイメージを持つかもしれないし、自己の状態によってもイメージの認識は左右されると思う。そういう意味で、イメージで作品を捉えるのは危ういかもしれない。ただ、そういう意味でいろんなイメージを想起させる作品である。
「第21回 岡本太郎現代芸術賞」展 (川崎市岡本太郎美術館)
≪ユキテラス大御神 天岩戸伝説≫の作品が、見る・観るという視点とは逆に、見られるという視点が同居していることに面白さを感じる。現実や事実にフィルターを挟むことで、自己に都合のよい解釈に変換し、それをリアリティの中での感情として捉えていく現代社会の変化を表現している。
スマホで自分が撮影者となっているようだが、実は他者に見られ、また撮影されているような現代を表現しているような気がした。
≪butterfly effect≫については、作った後の終わり方に焦点を当てている作品である。
観覧者が作品(セーターのようなものの糸)をほどいていく様相はさみしくもあり、残酷な感じさせ感じさせる。しかし、物事には終わりがあり、それを表現しているかのようである。
表現への情熱 カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち (パナソニック 汐留ミュージアム)
抽象画の創始者としての才覚が見える。何がいいのかがわからないという印象の部分も含め、バランスなど計算されている。きちんと全体として崩れないように描かれている点が評価されているのだろう。
VOCA展2017 現代美術の展望─新しい平面の作家たち (上野の森美術館)
全体的な印象としては、迫力がある作品が無かった。圧倒感や圧迫感が感じられなかった。
その中では、照沼敦朗さんの作品が、1つの作品の中に人生の選択肢が詰まっているような感じがした。
「損保ジャパン日本興亜美術賞展 FACE展 2017」展
グランプリの作品はやはり、圧巻だった。立体的な面もあり、赤系の花弁みたいな形は良かった。強烈に印象に残る。
個人的には、佐藤愛美さんの《FEMALE》、おさださんの《また会えるかもしれない》が良かった。 写実主義的なものではなく、目で見て脳に取り込んだイメージを、具体的に表現した感じだった。
「第20回 岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)」展 (川崎市岡本太郎美術館)
インタラクティブの作品がほぼ無かった。
井原宏蕗《Cycling》の動物のフンを漆で固めて、動物を形づけるとは、おもしろかった。 また、井上裕起《salamander[F1]》のオオサンショウウオという日本の固有種とスピードを競う最先端の技術の固まりのF1を紐づけるというのはうなされた。これが、サメなら何とも思わないのだろうけど。矛盾するようでどこかでつながっているような作品はやはり印象に残る。
ティツィアーノとヴェネツィア派展 (東京都美術館)
イエスが割礼している状況を描いた絵の解説に「人類を救済するためにはじめて血を流した」とあった。キリスト教精神を理解しない自分にとってはこの表現にびっくりした。
後、「女性が涙を流しながら天を仰ぐ姿」というのは、どの時代でも美として看做されるというのは分かる。
「第19回 岡本太郎現代芸術賞」展 (川崎市岡本太郎美術館)
三角 瞳≪Vacant≫は、リクルートスーツを身にまとった女性が履歴書みたいなものをもっている姿が印刷されており、その紙がたくさん丸められて積まれている。他者が容姿や学歴などの表面上の 指針により評価している状況と、自分自身の内面の評価の状況との葛藤が感じられる。自己実現と他者の視点からの評価という人の社会性とは何かに向き合っているようである。
他人の時間 (東京都現代美術館)
ビデオアートが多いのんで、時間があるときにゆっくり見た方が良い。 現在のことよりは、過去の政治的な事柄を映している作品も多い。 写真だけではないので、いろいろ見て、バーコードは出してみると良いと思う。
東宝スタジオ展 映画=創造の現場 (世田谷美術館)
ポスターと設定資料などがメイン。 ミニチュアなどのジオラマは入り口のみ。 客層は、年齢層が高い。 好きな人は好きなんじゃないかと思う。
ジオラマの展示で特撮の現場を演出すれば、もっと臨場感がある展覧会になったのではないかと思う。『七人の侍』の衣装なども残されていれば、おもしろかったのではないかと思う。
VOCA展2015 現代美術の展望─新しい平面の作家たち
平面芸術。CGで加工した写真もある。
個人的には平野泰子や松岡学の作品が好きだった。前者はじっと見ていると深淵を見ているような感覚になり、後者は廃墟のような建物のような印象を受ける。なお、いわゆる福島の原発関連の作品もある。
FACE展 2015 損保ジャパン日本興亜美術賞展
ガツンとくる作品は無いが、おもしろい感じの作品が多くある。もうひとつアクセントなり、要素がたされると興味深い現代芸術ができるようになるように思う。
「第18回 岡本太郎現代芸術賞」展 (川崎市岡本太郎美術館)
デジタルアートはほぼ無いけれども、極めて人間的な作品が多かった。 以前はもっとディジタルな作品があったように思うが、今回はほぼ無い。 大賞の作品については、芸術とはどういうことなのだろうかと思うってしまう。 焼き芋に何かもう一工夫してほしいと願ってしまう。
パスキン展 −生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子−
全盛期の作品は、頭の中にあるイメージをカンバスへ映したような淡い線で描いた作品は日本人好みではないかと思う。
「放蕩息子」や「サロメ」など聖書をモチーフにして描いた作品もあり、当人の精神状態を表したような作品もある。自分としてはオスカー・ワイルドの『サロメ』を思い起こした。
未見の星座〈コンステレーション 〉−つながり/発見のプラクティス
空間芸術。インスタレーション。
大?のぶゆきの作品は、星座が水面で溶けて流れていく様子をプロジェクターで映す。 動きの不確実さを描いているところが良い。ただ蛍光塗料で星座を描いたほうがもっと幻想的になるのではないかと思った。
志村信裕の作品は、プロジェクターで水面に映る夕景をリボンに投影してその反射が壁にも映る。リボンの表側から見るのも良いが、裏側から見ると、リボンの隙間から漏れてくて壁に映る光が木漏れ日にようにも見え、また違った一面を表す。
クインテット?−五つ星の作家たち−
平面美術。富岡直子さんの作品が自分の好みだった。カンバスに塗り重ねられた中に、光明を見出す感じで、何かを無条件で期待させるような印象だった。
大友良英 音楽と美術のあいだ
見たもの、感じたものに意味付けをするか、単なる感覚ととらえるか。美術と音楽と芸術をどのように認識するのかと考える作品だと思う。
ザハ・ハディド Zaha Hadid (東京オペラシティ アートギャラリー)
建築家の展覧会である。プロジェクターで映しだされた作品を見るのがメインかもしれない。
CGで作り出したものを造形していくような印象だった。デザインにかんしては、機能性や居住性、省エネがどうなのかはいまいちよくわからなかった。新国立競技場の機能図や既存のものとの比較表何度もあったが、どれくらい優れているのかがいまいちわからなかった。
平成25年度(第17回)文化庁メディア芸術祭
会場が分散したためか、あっさりとした印象がある。パワーダウンした感じである。 新規のアイディアなのか既存の作品の焼き直しなのかわからないが、感動するような作品が無かった。敢えて良い作品をあげるならば、≪ を超えるための余白≫である。次世代につなげられるような作品ではなかったような印象である。技術的な発展につながるような作品ではなかったように思う。
アニメーションの作品では、設定資料集などの展示もあったので興味がある人には有益だと思う。
VOCA展2013 現代美術の展望─新しい平面の作家たち
佐藤翠さんの作品が一番印象深かったと思う。 実際に存在していたかどうかは不明だが、クローゼットを見て、 その後、頭の中の印象をそのまま描いた感じが好きだ。
損保ジャパン美術賞展 FACE 2013
何にも美術的な知識がない人間がには、永原トミヒロの作品が新鋭的な感じがする。 新奇性を求めるようなvoca展の感じはない。 技術的なものや、〜主義的なところは分からない。 もっと新進気鋭な作品が見たい気がする。
平成24年度(第16回)文化庁メディア芸術祭
開館直後に行ったので、多少すいていた。今回のリーフレットは番号が付いていて分かりやすくなっていた。
作品自体は、アイデアというより、それを具体化させる手段を駆使したような作品が多いような気がした。
「第16回 岡本太郎現代芸術賞」展
メディアアートはいつもどおり無い。
基本的には、湯浅 芽美の≪Momently stratum≫が好みである。光と透明感が表現されている感じが好きである。物質が重力で自然に織り成す形状がすばらしい。
eje(エヘ) の≪ものおと≫もノスタルジックな感じを漂わせるものである。自分の過去と一致するものがあればとても共感できるものである。 発想はおもしろい。
フィナーレ選抜奨励展 -輝く12の視座-
「損保ジャパン美術賞」受賞作家12名の近作、新作が展示されている。
今回は小野さおりの絵が特に印象に残った。独特の色合いとぼかした感じが好きである。
弓手研平の作品も主義主張が入った感じで、現代人が忘れている日本国の前提を感じさせてくれる。 日本人は現代の平和を当たり前のように生きているが、それが憲法の下に成り立っていることを意識させてくれるきっかけを与えてくれる。
MU[無]──ペドロコスタ&ルイシャフェス (原美術館)
彫刻は造形などなかなか面白いものである。しかし、プロジェクターで投影している映像は、正直何を描いているのか素人にはわからない。もっと解説がほしいものである。 無という主題であるが、無ということを感じることは無かった。
ドビュッシー 、音楽と美術?ー印象派と象徴派のあいだで
ドビュッシーの曲の背景となった絵画や人物を紹介している。実際に各部屋ごとに音楽でも流れていたらよいなと思った。 頭の中でドビュッシーの曲を流しながら観ていくと音だけの時とはまた違う印象が広がってくる。とても良い企画かなと思う
順路が分かりづらいのが難点である。
川内倫子展 照度 あめつち 影を見る
写真美術館の割には、映像が多々あり、面白いと思う。阿蘇山の野焼きのイメージの映像で見ることができ、火が直線上に左から右へ動いていく様子が、新しい息吹を感じさせてくれる。
日常の一瞬の場面での光を視覚的に感じさせてくれる展覧会だったと思う。
ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガーー力が生まれるところ
会場はそれほど広くないが、体験型の作品が多い。 見方によっては、感じることが必要な作品がある。自分がどう感じるかが問題である。基本、写真撮影がOKである。
現代美術の展望「VOCA展2012 −新しい平面の作家たち−」
平面作品と聞くと既定の路線の延長線上だと思いがちだが、こういう作品を見ると平面作品の今後の可能性を十分に感じることができる。
表現力もさることながら、新しい取り組みを見て取れる。全体的にはあっさりとした印象だが、それぞれの作品は独創的である。
《クラウドスケープ》
空気の層を感じることができる作品。
雲の下、雲の中、雲の上という空間を階段の上り下りで体感できる。飛行機の離陸、着陸時に、窓から見られる雲を通り抜けるような感じである。 多少服は湿るが、とても面白い体験ができる。
「第15回 岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)」展
全体的に斬新さが無いような作品が多い印象がある。アナログ的な作品が多い。解説に昨年の東日本大震災に絡んだ意味を含んだ作品がある。
個人的には、《日本!今も昔も/Nippon! Then as now》や《心象の模型》が好きだ。 《日本!今も昔も/Nippon! Then as now》は、生きるという義務を表現しているし、《心象の模型》は、他者の目線になれるところが良い。
「ジャン ミシェル オトニエル:マイ ウェイ」展
ガラスの透明感と鏡面ガラス、金属で作られた作品がとても魅力的である。作品に対するドローイングも展示されてあり、コンパクトにまとまっている。 《ラカンの結び目》という作品が色合いやバランスに優れているように感じる。
写真撮影を許可しているので、他者がデジカメや、携帯で写真を撮っていて、落ち着いて実眼でみることができないことが残念である。 もっと、ゆったりと厳かな空間であることが必要だと思う。
三上晴子 欲望のコード
基本的にこういう相互作用的な作品は好きである。参加型の作品なので自分とその作品が反応して、作品の一部として表現されるというところが楽しい。 あまり人がいないので、十分に独り占めできる環境である。 センサーによって90個のカメラが自分を捉えるのはとても面白い。自分の動きに反応してカメラがいっせいに動き出す。 独特の感覚が味わえる。
オープンスペースも過去に無かった作品もあり、とてもよかった。ヒトの知覚とは何かというのが少し分かるような気がする。
モダン・アート,アメリカン ―珠玉のフィリップス・コレクション―
アメリカがヨーロッパで流行った芸術やいろいろな民族などの影響を受けた20世紀前半の作品を展示している。
作品としては、印象派の作品が一番なじみがあると思う。アメリカ独自の作品が多いのが特徴である。
人それぞれの好みだが、1500円は高いかなぁと思う。
ゼロ年代のベルリン ―わたしたちに許された特別な場所の現在(いま)
期待していたよりも斬新さが少なかった。斬新さより変化の「兆し」の表現なのかもしれない。 プロジェクタで見る作品があり全部見るのに時間がかかるかもしれない。
名和晃平─シンセシス
1度目は、何も解説も無く、そのまま回る。2度目以降は、解説を見ながら回る。
子どものころにどきどきした感覚が味わえる。 《ポリゴン》(多面体)は、実体と情報の実体を混ぜた作品が、現代を表しているようで興味深い。
シリコンを液体にした作品も良い。
森と芸術 (東京都庭園美術館)
シェイクスピアの戯曲や、旧約聖書を題材の版画などがあるのが良い。
エミール・ガレの作品も展示されている。
アーティスト・ファイル2011―現代の作家たち
鬼頭健吾の作品は個人的に好きである。大きな流れと小さな流れが合致して、胎動しているような感じである。
松江泰治の作品も、視点が面白い。写真の中で家屋が密集しているところが面白い。
レンブラント 光の探求/闇の誘惑
名を残す芸術家は、やはりすばらしいなと感じた。明暗が際立っていて、見入ってしまう。写真とは違う、趣があり味があると感じる。 地震の影響で、15時までの入場、16時閉館であった。
VOCA展2011
個人的には、後藤 靖香の作品が、力強く緊張した感じが出ていて好きである。熊澤 未来子の作品もどこかで見たことがある気がするが、独特な雰囲気があり良いと思う。
シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―
ダダを中心に構成されているように感じた。やはり、来場者が多いので、ゆっくり楽しむのは難しい感じである。
田窪恭治展 風景芸術
強烈に印象に残っているのは、歩くたびに床に敷かれた鋳物のぶつかる透明感のある音である。実際に歩かないとこの音の良さは分からない。 また、やはり、広い空間を味わうことができる。なお、本当は現地で実際に音楽を聞きたいが、擬似的に礼拝堂を感じることができる空間がある。
MOTアニュアル2011 Nearest Faraway|世界の深さのはかり方
木藤純子の作品は結構好きである。空から降ってくるような一瞬の美を感じる。池内晶子の作品も空間の贅沢さを存分に感じることができる。 色が白というのも無駄の無さ、純粋さを感じられる。 八木良太の作品も手袋をはめて実際に触ったり動かしたりでき、とても面白い。
全体の印象としてたっぷり、ゆったりとした空間を存分に楽しめる。
「第14回 岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)」 展
≪うつつみ≫が絶妙な存在を示している。実存しているかのような存在感である。存在に気が付くとちらっと顔を見てみたいと思わせる姿である。
≪ものモノ≫は、とても温かみがあり、紙粘土のような味わいがある。ちょっと笑ってしまう作品である。傘立ても見てほしい。
≪Milky Way -Der Kuβ(接吻)≫も七夕をモチーフに幻想てきな作品である。音があればもっと接吻などの状況の雰囲気を感じられたかもしれない。
平成22年度 第14回文化庁メディア芸術祭 (国立新美術館)
毎回、技術が高度になりすぎて、感動、驚き、楽しさ、納得などを感じなくなった作品が多いような感じがする。幅が広がりすぎた印象がする。
ICCで展示されていた作品もあった。
iPad magic は実演していました。間近すぎるといろいろと見えますね。
曽根裕展 Perfect Moment
素人的にはちょっと期待はずれな印象だった。もう少し、空間を生かした展示方法の方が良かったような気がする。 ビデオ上映に関してももっと見せる方法があったように思う。感じるもの、訴えかけるもの、それらの傾向が薄いような印象だった。
みえないちから
当日予約が必要な作品もある。一枚のチケットで別に日にもう一度入場できる。
《クライゼンフラスコ》は光の粒子が見えるような作品で個人的には一番日常的な空間を感じられた。 《フォルマント兄弟の"お化け屋敷”》は一味違った物の捉え方を教えてくれる。
きらめく装いの美 香水便の世界
ガラスやライトの光、香水の色合いで輝きを増す。 瓶のデザインもあるが、ガラスの透明感とライトの光が美を呼び起こす。 デザインが良いものもあるが、香水の匂いは全く無い。 通路が狭いので、少しの観覧者でごった返す状態である。美術館全体がもっと広ければ、もっとゆったりと鑑賞できるだろう。
ドミニク・ペロー展 都市というランドスケープ
「建築はランドスケープを構成する要素であり、ランドスケープとは人為によって形作られるものだという意識が必要」
現代ではこういう考え方が必要なのだろう。地形をいかした建築、その建築物は風景となる。それら一体となったものを自然とみなす。 都市では手を加えられていない自然はほとんど無い。山を崩され、木を植え替えられ、風の通る道を作り、人が過ごせる空間を作る。 そういう自然とマッチした建築物、目新しい建築物が地形とマッチしていかされていく。そんな感じである。
こどものにわ (東京都現代美術館)
参加型の作品が多い。
個人的には大巻伸嗣の作品が好きである。静けさを感じるし、落ち着いた空気が良い。また、入場者によって踏まれることで色が滲んでいく。 だんだんとぼんやりとしてくる色と全体的な様子も落ち着いた雰囲気となっている。
出田郷の作品も参加型であるが、平日に行ったほうが厳粛さが感じれるのではないかと思う。単色であるがいい光加減だと思う。
語りかける風景 (ザ・ミュージアム)
懐かしい感じがする。古きよき時代を切り取ったような印象である。窓から見られる風景であったり、町並みであったり、田園や沿岸の風景であったり、 自然と人間とのつながりや時間の移ろいが描かれている。生命力を沸きたてられるような絵もある。
フランク・ブラングィン展 (国立西洋美術館)
素人には感想は難しいかなと思う。分かりやすい絵もあるが、全体的には、西洋美術館の歴史的な流れや意味合いなどをたどる。 一部には強烈な鮮やな絵画もあるが、強烈な感動はない気がする。
エレメント 構造デザイナー セシル・バルモンドの世界 (東京オペラシティアートギャラリー)
構造デザイナーという肩書きがすごいと思う。CGでデザインしたものを現実化して形と成しているところがすばらしい。 展示の雰囲気は面白い。靴を脱いで見るスペースもあり、座って楽しむこともできる。過去の映像を見るスペースもあるが、そちらの映像を大画面で写したほうが良いような印象を持った。
「第13回 岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)」 展 (川崎市岡本太郎美術館)
全体的に手作業の作品が多い。時間をかけて、一つ一つ手を加えて作り上げた感じがある。双方向性のある作品やメディアアートの作品は少ない。
個人的には辻牧子《日常の柔らかな化石》や入江早耶《Untitled》が良かった。 《日常の柔らかな化石》は、捨てられる物に何層にも絵の具を塗り重ねた後で彫刻刀で削っていく。色が塗り重ねられている分、削られて断面が妙な感じできれいである。 《Untitled》は、人の背丈くらいある人形型のクレヨンを作り、壁に擦って行く。人形型のクレヨンは磨り減っていくし、壁には跡が残る。 化石燃料でクレヨンを作り、クレヨンは擦って減っていく。クレヨンを人形にしたところに生物の輪廻を感じる。
平成21年度 第13回文化庁メディア芸術祭 (国立新美術館)
もう慣れてきたせいか、感動する作品があまり無いように感じられた。テクノロジーが先行して、アイディアによって感銘を受けるような作品が少ない。 「LOVE DISTANCE」についても、やりたいことはわかるし、実際にやったことはとても評価に値すると思うが、それほどの感動は無い。 「scoreLight」については、輪郭によって音が生じる作品は面白いが、アイディアとしてはそれほど感動するものではなかった。
安井曾太郎の肖像画 (ブリヂストン美術館)
肖像画から厳格さや威厳を感じる。やさしさや和やかさではなく、人物の深さや芯の強さが表れている。 洋装でも和装でもその時代の人物像を感じさせる。現在ではこういった顔の表現は出にくいように思う。
伊藤公象 WORKS 1974-2009 (東京都現代美術館)
陶芸から派生し、作為をなくして多軟面体(たなんめんたい)と成す。新しい技法である。重力に任せ、素材を焼き、形を成す。 新鮮な感じである。作品はビデオアートなどではないが、確固たる物がそこにあり、存在を感じる作品である。「静」の作品である。 空間が全体的に白色で統一されていて、一瞬の時間を切り取ったような感じがする。
鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人
ちょっと難しいかなと思う。ストーリーとしては成り立っているのかもしれないが、伝わるものが難解な感じだ。 過去に現代美術館で作品の一つを見たことがあるが、そのときには興味深かった印象がある。 今回は個展として見たが、全体として分かりづらい感じがした。
池田亮司展 +/−[the infinite between 0 and 1]
空間を贅沢に使った感じがする。1Fが黒でB1が白で対照的な感じとなっている。 ディジタルの0と1ではなく、9までの数字が極小が刻まれている。 インスタレーションがもう少し身近な感じがするような作品があればよいと思う。 急いで回る必要は無く、1つずつゆっくり回ればよい感じである。
高梨豊 光のフィールドノート (東京国立近代美術館)
全体的な印象としては、新しく斬新というよりは、ノスタルジックな感じがする。 モノトーンの写真が多く、温かみのある写真というよりは、時代の一片を切り取った感じの写真である。 「光のフィールドノート」の光というのは、どういう意味なのか、感光という意味なのかな?と思った。
「第12回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)」展 (川崎市岡本太郎美術館)
新しい感覚が好きな人には新鮮であろう。珍しいだけでは満足しない人は余り面白くないかもしれない。 インスタレーションもあり、個人的には好きである。《ウシロノショウメン》はとても存在感がある作品である。 新しい感覚に気づかされる作品が多い。
平成20年度(第12回)文化庁メディア芸術祭 (国立新美術館)
毎回どんどん進化、進歩している感じがしている。新しい人や、新しい発想、技術がたくさん出てきている。 時代に合わせて、いろいろなアイディアがあり、とても刺激的である。
ジム ランビー :アンノウン プレジャーズ (Unknown Pleasures) (原美術館 2008-2009)
床や階段をビニールテープで覆い、幾何学的な面となる。狭い感じもするが、窓があるので、木漏れ日が差し込み、幾何学的な床面とは対照的になんとなく穏やかな感じもする。 また、床にコンクリート製の立方体があり、そこにはいろいろなタイトルが書かれたレコードか何かの背表紙が貼り付けられている。 住むには困るが、非日常的ない空間を感じることができる。
ライト・[イン]サイト―拡張する光、変容する知覚 (NTTインターコミュニケーションセンター, 2008)
《サンキュウ―インストゥルメント》の作品が良かった。ストロボによって自分の影が壁面などに焼き付けられる。 一瞬の姿を映し出すことが新鮮な感じである。作品の意味を考えると、少し重々しい感じがする。
並んだり、人数制限がある作品もあるが、全体的に知覚を刺激する作品である。
拡張された感覚―日韓メディア・アートの現在 (NTTインターコミュニケーションセンター)
《ツーリスト・プロジェクト》の作品が一番良かった。プロジェクタによる投影と、その映像を吹き飛ばす演出のためにスクリーンをたくさんの羽を並べた物にしている。 意図したものが分かりやすいので面白い。
「パラレル・ワールド もうひとつの世界」 (東京都現代美術館)
人生において、選択をした時点で、選択をした道と選択されなかった道が存在する。 そういった意味では、とてつもない選択されなかった道が存在することになる。 選択されなかった道を感じることができるかどうかは別として、自分が「感じた」ものがそこに存在する作品に触れることができる。
特別展「対決−巨匠たちの日本美術」
開館時間、閉館時間間際で無いとおそらく混雑していて余りよく見られないだろう。
興味が無いとあまり感激することも無いだろうが、良いものに触れるということは何かしら今後役に立つかもしれない。 贋物ではなく、やはり本物は良い。
F1 疾走するデザイン
F1の歴史を年表で確認しながら、数台の実車を間近に見ることができる。 最後には現在のF1の技術が解説してある。安全対策や開発資金の抑制のためのレギュレーション変更を踏まえながら、 素材や形状を含め経験から生まれた速く走るためのテクノロジーはすごい進化を遂げている。 乗車したりなどの体を使ったの体験はできないが、目で見てF1のデザイン(設計)を確認することができる。
ルノワール+ルノワール展 (ザ・ミュージアム 2008)
ピエール=オーギュスト・ルノワールと息子のジャン・ルノワールの作品を展示。
イメージとしてとらえ、頭の中で描いたような人物像や風景はとても心地の良い。個人的には人物の目が好きである。 柔らかい感じの表現は、理想的で落ち着く感じを残す。
イリヤ・カバコフ『世界図鑑』
1950年代から80年代にかけて、旧ソビエトで出版された絵本とその原画を展示。 社会主義国家の検閲により表現を制限され、要求されたように描くことを余儀なくされた。 そういう状況下での作品を陽気な感じで見ることができる。
ウルビーノのビーナス (国立西洋美術館、2008)
美と愛というだけあって、美しさを感じることができる。実際、陰影がよく描かれていて、とてもすごいと感じる。
MOTアニュアル2008「解きほぐすとき」
ワンフロアでの展覧会。ガツンと感銘を受ける感じはない。しかし、「見えるものと見えないものの間を表出させる」という行為は面白いと思う。 感覚や表現したいものを可視化するということは、とても難しいことである。それを手段を用いて表現できるということはすばらしいのではないかと思う。 まず、感じるということが大切であり、それを気づき、認識できるということは少し違った感覚なのかもしれない。
「第11回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)」展
個人的にはとても良い展覧会だった。 ヤマガミヒロユキの《Night Watch》や青木美歌の《アルとナイの絶え間/The Interval between Being and Not.being》、 齊藤寛之の《Sculpture to Feel》などが良かった。 表現する「もの」や「こと」の“アイデア”が独創的だと思う。また、透明感や光なども良い雰囲気を出していると思う。 非日常的な空間を味わえたことは有意義である。
第11回 文化庁メディア芸術祭 (国立新美術館, 2008)
全般的に、テクニックやメッセージ性のある作品が受賞しているような気がする。 新規性のある作品が少ない気がする。新奇なアイデアをあまり感じない。技術的にはずいぶん優れているのだと思う。
サイレント・ダイアローグ──見えないコミュニケーション
個人的にはかなりおすすめである。係員に説明をしてもらって体感するととてもよくわかる。 《Paphio in My Life》 は、人の動きを植物が感じ、それを音に変換している。その音を聞くことにより植物を人間が感じることができる。 頭上にピアノ線が張ってあり、微細な音を出しているところが感嘆できる。瞬間的な植物の動きを感じることができる。
ピピロッティ リスト KARAKARA (原美術館 2007)
展示方法(インスタレーション)はとてもユニークである。しかし、その内容はあまりよくわからない。 美を感覚に訴えるのか、または、問題提起を知能に刺激するのかが、どのようになっているのかが分からなかった。 知覚としては面白いが、後に何が残るのかという問題がある。
北欧モダン デザイン&クラフト (東京オペラシティアートギャラリー)
産業デザインに興味があればぷらっと立ち寄っても面白いだろう。 一つ一つをしっかりと見ると、曲線や形状に味わいや感嘆がある。単純にぱっと見て感動したい場合には向かないかもしれない。
写真新世紀東京展2007 (東京都写真美術館)
入場無料。少し切り口の違ったテーマ性のある作品が多い。そのテーマに同調するかしないかは見る人次第になる。 懐かしさを呼び覚ますも作品や、現在の寂れた様子と最新の投資物などを表現した作品などがある。
SPACE FOR YOUR FUTURE (東京都現代美術館)
作品数の多い美術展である。オラファー・エリアソンの作品は黄色に近いオレンジの色を放ち個人的には好きだが、場の雰囲気からは少し馴染んでいない感じである。 フセイン・チャラヤンの作品は、ビデオでの映像をもっと分かりやすく映し出せばよいと思う。 SANAAの作品は、空間や植物の間隔などがゆったりと穏やかな雰囲気を感じさせてくれる。
《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》 (NTTインターコミュニケーションセンター)
意味を求めるならば、よくわからないという感想を持つかもしれないが、自分は好きな部類である。 非日常を感じられるということと、その手段を見ることができるということで十分良いと思う。 水の波紋と水面に漂う霧、それらに上から映像を投影することで有機的でダイナミックな動きを水面の下から見られる。 また、暗室の中で音とともに体感することができる。 さらに、それらを見ている人たちも含め、空間を感じることができる。
メルティング・ポイント (東京オペラシティアートギャラリー 2007)
点数は少ないが空間芸術で個人的に好きな作品である。3点のうちで渋谷清道の作品が白を基調としていてとても不思議な空間である。 白い壁に囲まれた空間へ身をかがめて入り込むと天井に細やかな柄が見える。 また、エルネスト・ネトの作品も水平面に区切った空間を感じることができ、興味深い。 ジム・ランビーの作品は、日常的にあっても面白いような床面である。
イタリア20世紀美術「巨匠たちの表現」
特別展示 上田薫の「なま玉子」シリーズの一部などが見られる。スーパーリアリズム絵画として描かれている作品は日常的には意識しない部分の描写の瞬間である。 展示数は少ないが、近くに寄ったら見ても良いかもしれない。
平成18年度(第10回)文化庁メディア芸術祭
アート部門大賞《Imaginary・Numbers 2006》の作品は、粒子の集まりが面を成したり、立体を表したりしてとても想像力豊かな感じである。
《素数ホッケー》など推薦作品もかなりエンターテイメント性にとんだ作品で、ずいぶんすぐれたものである。 アイデアとか着想というよりは、今回はとても技術的にすぐれている作品が多いように思える。
「第10回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)」展 (川崎市岡本太郎美術館, 2007)
大西康明《 restriction sight 》 は、空間及び空気の流れを意識することができる作品である。
受賞作品だけあって、それぞれかなり独特であり、どれも新しい発想や表現方法を使っていてとても面白い。 戸泉恵徳の作品も個人的には好きである。合成保存料を含んだ現代の食品に対する警句やそれらを食べている現代人に対する注意喚起を促している感じがする。
アドリアナ ヴァレジョン 展 (原美術館, 2007)
タイルの空間を描いた作品で構成される。《Figura de Convite III [Entrance Figure III], 2005》はかなり独特な作品である。 サーベルを腰につけ、生首を手に持つ女性がいるが、そこには何かしらのポーズをとっているようでであり優美さも含まれている感じがある。
なお、もうすこし大掛かりな作品があれば感銘が残るかもしれない。アドリアナ ヴァレジョン:1964年リオ デ ジャネイロ生まれ
MOTアニュアル2007「等身大の約束」展 (東京都現代美術館, 2007)
今回の美術展の中では、中山ダイスケの作品が自分にとっては一番よかった。 情報のアンテナを張り巡らせ、自らの判断で情報を集めるのではなく、情報におぼれているような情報過多になっている現状で、 コミュニケーションの手段が極端に1つに偏っている感じがとてもよく表れているように思えた。 一度頼り切っているコミュニケーション手段を失ってしまうと、五感を伴った意思疎通が取れない危うさを示しているようだ。
スーパーエッシャー展 (ザ・ミュージアム 2006-2007)
「特異な視点、だまし絵」で集めれた作品はとても面白い。一見、つじつまが合っているようでも、よく見ると物理的にはおかしな空間や建物となっている。 また、版画で表現されている直線の細かさ、また交差する直線が作り出す奥行きがすばらしい。 《円の極限》に関しても、緻密さと形を同時に兼ね備えて表されている。エッシャー:オランダの版画家(1898- 1972)
◆2006年以前に行った美術展
◆以下2006年以前に行った美術展の感想
開館20周年記念 ルソーの見た夢、ルソーに見る夢 アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家たち (世田谷美術館, 2006)
色彩自体はきれいであると思う。
構成としては、アンリ・ルソーの作品なので一番最初(第一章)をじっくり見たほうが無難である。 その他の章は、ルソーとのかかわりのある作家の作品が中心である。独特の雰囲気のある作品群である。アンリ・ルソー:フランスの素朴派の画家 (1844 - 1910)
アート・スコープ 2005/2006 - インターフェース・コンプレックス (原美術館, 2006)
「Air Cell - A_36mmp」 などの作品は白っぽい空間の中で透明感のある作品であり、とてもいわゆるきれいである。 清涼感があるというよりは、真空で密閉されたような感覚である。しかし、息苦しいというものではなく、静かさのある感じである。
『ライフ』展 (水戸芸術館現代美術ギャラリー 2006)
《HEARTBEAT DROWING》 は心臓の鼓動を表し、生きている生命の動きを感じさせる。音と、素材と映像など現代美術の感じがとてもよい。
『ライフ』というテーマに沿ったいろんな作品がある。同性愛というものがどのような芸術性を持つのかはすこし分からない面がある。
光の魔術師:インゴ・マウラー展 (東京オペラシティアートギャラリー)
《LEDのテーブル》は宇宙の星のような印象も受け、大変感激するような作品である。《ホロンツキ》はホログラムが出てとてもびっくりする。 光は光源や物質にあたった反射によって感じる感覚であるが、それを楽しく驚く感情とともに感じさせてくれる作品が多い。とてもよかった。
世界報道写真展2006 (東京都写真美術館)
天災や災害、内紛、テロなどの記録として写真に収めている。また、瞬間の美を写真に残している。 天災や災害、内紛、テロの側面を写真に撮るというのは、援助したり救援の手助けをしたりするという人道的な行動の必要性も求められるが、世界の一部で起こっていること、 または起こったことを世界中へ知らせるという役割もある。これらのことが第三者に通じ、当事者にとって何かの役に立つことが写真家にとっては救いなのだろうと思う。 当事者にとっては写真に撮られる瞬間の援助が必要なのかもしれないが。
美食などという言葉が存在している国と、明日の食事もあるかどうかも分からない飢えが存在する国がこの世界にあるということを実感できる。 また、利権を求める一部の輩によって、多くの民が満足に食事や医療を受けられないという実態を生んでいるという対立、内戦はとても無意味な感じがしてしまう。
ヨロヨロン 束芋 (原美術館, 2006)
束芋(たばいも)の作品の表現方法も独特だが、内容も日常的でありながら、非日常的でそれほど遭遇しないようなものであり、そのギャップが気を引くものである。 《公衆便女》なども、公衆ということと、利用する女性を描き、蛾を異物として侵入者として、普段見ることのない「内側」を表現し、あやうさを暗示しているようである。 過去の作品も数分のビデオとして見られるので多くの作品にふれることができる。
カルティエ現代美術財団コレクション展 (東京都現代美術館, 2006)
ライザ・ルーの作品は、強い色の輝きが足取りを軽くするような気持ちを誘発させるようである。魅惑の色や輝きが何かを期待させるようである。 異空間にいるようでありどきどきするような感じである。無条件に何かに期待し、何かに遭遇するような過去の記憶を想起させるような作品である。また、 トニー・アウスラーやデニス・オッペンハイムの作品も内容や表現方法が興味深い。ビデオアートも多くあり、全部の作品を見るのに時間がたくさんかかる。
開館20周年記念 世田谷美術展2006 (世田谷美術館)
開館20周年を記念して開催された美術展である。
平面の作品が多く、メディアアートなどは無いのが少し残念。とても落ち着いた感じの展覧会である。
村田朋泰展 俺の路・東京モンタージュ (目黒美術館)
会場の雰囲気がレトロな感じであるようでそういう感じでもない。ノスタルジック、郷愁なのか、「現代」の部分を映しているのか、 全体的なまとまりがつかみにくい感じであった。手作り感はある。なお、インタラクティブな部分もある。
第9回文化庁メディア芸術祭 (東京都写真美術館 2006)
[アート部門] はとても見ごたえがある。技術の進歩で着想を具現化している。 いままでの表現を別の技術により表現することができるようになったと感じる。 また、ある作品では、実体をモニターに映し出すが、そのモニターには実体のほかに実体を動かすキャラクターが存在する。 モニターの中でキャラクターが動かすように実体が動いていく。実体がモニターの中にあるものなのか、被写体なのか分からないような錯覚に陥る。
ブラインドに映される影の作品も、人の健全な欲望を表現しているようでなかなかおもしろい。
MOTアニュアル2006 No Border - 「日本画」から/「日本画」へ (東京都現代美術館, 2006)
日本画というとなんだか地味な感じで、新鮮味にかける感じがするが、いろいろと発想の新鮮さを感じる。 「日本画」とは、どういう定義なのかと思うが、やはり新しいものは新しい感覚がにじみ出ていると思う。※日本画:明治以後にヨーロッパから入った西洋画に対し、わが国在来の技法・様式による絵画。墨や岩絵具を使用するのが特徴的である。 顔料を水干(みずひき)といい、これにニカワを混ぜて和紙・絹などの上に毛筆で描く。(はてなダイアリー より引用)
アートと話す/アートを話す(東京オペラシティアートギャラリー 2006)
貸し出されるワークブックを見ながら作品を見ていく。ワークブックに書かれている問いかけに、自分で答えを見出す。 ただ解説を見て作品を見るのではなく、自分の視点で見ることを助けてくれる。 《アートの主題》は、平面に書かれている図と、奥行きがある作品を比べる。奥行きのある作品を自分で平面に書き出すと、やはり平面的になる。 実物とそれを表現する手段としての描写の差異を感じさせてくれる。また、《愛を求めて》もいろいろと物質主義、商業主義的なことを感じさせてくれる。 ブランドイメージと、それを身につける人間。バックなどのそのものを買うというよりは、ブランドのロゴを買うということのほうが意識的に強いと思う。 そのブランドのロゴを商品の素材以上のお金を出して買う。作品がその付加価値的なものを露骨に表しているように感じた。
オラファー エリアソン 影と光 展 (原美術館 2005-2006)
展示数は少ないが、光を体感できる。スペクトル(可視光および紫外線・赤外線などを分光器で分解して波長の順に並べたもの)を壁に照らす。 普段は気にしていない色や光を感じることができる。非日常を感じることができて良い。美術館の展示スペースは狭いが、なかなか新鮮な展示である。 《美/Beauty》 や 《単色の部屋と風が吹くコーナー/Room for one colour and Windy corner》 は新奇性がある感じがする。
横須賀功光の写真魔術「光と鬼」(東京都写真美術館 2005)
写真が写真であること自体が自分の内側の感覚を表現するという捉え方は共感できる。 自分の感覚で写真を撮り、それを表現するという行為は、自分の内側を表出するということに他ならない。 見るものに伝えるということも大切だが、その以前に自分の感覚を表さないと見るものに伝わらないだろう。
今回の展覧会では、伝えようとするものが伝わってくる。さらに、見るものに想像させるところが良い。
横浜トリエンナーレ2005
会場が広く、全体としてのまとまりが無いように思う。規模が大きな作品が多い。この点は体感するのに良い。 多くの作品に、アイディアを見せるというより、問いかけるという印象があった。アジアであったり、ヨーロッパであったりその国を感じさせる作品が多い。
タニシKの電車の中でフライトアテンダントの格好でワゴンを押している姿は妙な感じがして良かった。
アート&テクノロジーの過去と未来 (NTTインターコミュニケーションセンター, 2005)
五目並べを2セット用意し、離れたところに置き、それぞれの盤の前に1人のみ座る。 盤の向こう側には相手の盤が移っているモニターがあり、 相手には、自分の盤がモニターに映し出されている。 モニターに移しだされる碁石を見ながら、自分の前にある実際の盤に碁石を置いていく。 そうやって相手の碁石がない状態でイメージを働かせ碁を打つ《ビデオゲーム・五目並べ》は興味深かった。
過去の作品が多く、それほど感銘を受けることはないが、当時としてはとても斬新であったに違いない。
宮殿とモスクの至宝 V&A 美術館所蔵 イスラム美術展(世田谷美術館, 2005)
タイル貼暖炉は暖炉そのものの大きさであり、タイルの色合いがとても澄んでいてよい。
土地柄、宗教的な要素や文化的要素が組み合わされている姿は海に囲まれている日本とは異なっている様子がわかる。 いろんな時代にて輸出したり輸入されたりして複合的な作品が作り上げられているところがよくわかる。
ローリー・アンダーソン 『時間の記録』 展 (NTTインターコミュニケーションセンター, 2005)
《言葉の滝》は日本語で、上から下へ言葉が電光掲示板に流れて、その下に言葉が落ちると、水平に設置されたモニターに、その言葉が英語に変換されて波紋のようにゆらゆらと広がっていく。 自然やアナログなことをディジタルに変換する、そしてそこにアイディアを織り込むこところはすごいところだと思う。
オープン・ネイチャー|情報としての自然が開くもの (NTTインターコミュニケーションセンター, 2005)
全体としては、周りの環境や情報を何らかの形で科学技術を使い、表現している。 風景や街の音を電子化し水平な線のようにしてそれをスクリーンに映すとか、 宇宙からの信号を音として表現するなど。 周りにある世界を科学技術を使い感じることも新鮮だが、周りにいる人間の意思を科学技術を使い感じることができるようになるものがあれば、もっと新鮮かもしれない。 感覚を拡張するという技術が開発されるかもね。
ウナセラ・ディ・トーキョー 残像の東京物語 1935-1992 展 (世田谷美術館)
昔は今とは違って、入り組んでいたりごちゃごちゃしていたが、単純であり、ストレートだった感じがする。複合ではなく、単体のものがドカンと置いてあるような印象である。 よじれているのではなく、まっすぐな感じがした。スマートでないものが懐かしさを感じさせる。
アート・ミーツ・メディア:知覚の冒険 展 (NTTインターコミュニケーションセンター)
知覚の冒険ということもわかるが、何かを表現する、何かを創出、違うものに変換するという発想のアイデアも感じられる。
《ビヨンド・ページズ》は各ページにプログラムされたものが映し出されるが、それを操作するのが自分たちである。仮想の本の上にあるものにペンで触れると 仮想上の本の絵が変化したり、物理的にあるライトが点灯したりする。近い将来このような本が出てきそうである。 《AUDIBLE DISTANCE(視聴覚化された「間」)》は相手との距離とその相手の脈を頭につけられたディスプレイで視覚と音で感じるものである。 真っ暗な空間でディスプレイのみに頼るので多少、壁や相手との接触が不安であった。
文化庁メディア芸術祭 (東京都写真美術館)
なかなか興味深い作品が多かった。《Sky Ear》は実際に体験してみたいと思った。 《音点字》は着想がすばらしいと思う。表現する美的な感覚もさることながら、その作品を作り出すひらめきはすごいと感じた。
「ミュシャ 財団秘蔵 ミュシャ展」-プラハからパリへ 華麗なるアール・ヌーヴォーの誕生-
作品はイメージ、象徴という感じがする。美化された作風を好きな人は好きなのであろう。モデルを見て、自分の中で再構築し、そしてそれを外に表現する能力はすごいものである。
MOTアニュアル2005 愛と孤独、そして笑い 展 (東京都現代美術館)
女性の生き方とか生活にかかわる視点などが中心である。
出光真子の作品は、戦争が行われているさなかに、別の場所では平和にそのことを意識せずに過ごしているという、今回のイラクへの自衛隊派遣も含めて政治的な主張も含まれていてなかなかメッセージ性の強いものだと思う。 個人的には鴻池朋子の作品が、女性に対する警告、危惧を表現しているようで女性の意識に対する表現にように取れると思う。 安易な行動に対する対価の重さをあらわしているように思う。
明和電機 ナンセンス=マシーンズ 展 (NTTインターコミュニケーションセンター)
メカトロニカ上映だけでも楽しかった。ツクバ(TSUKUBA)シリーズは「ばかばかしい方法でやる」というところが良い。 やりたいこと(テーマ)があって、それを成し遂げるという行為、そして、そのための方法が他者とは違っている点が魅力があるのだと思う。 テーマに沿って製品(作品)を作り上げ、それを発表できる、またさらにそれが評価されるということは本当にすばらしいことであろう。 感性だけでやっているのではなく、計算して製品を作り上げているところがとてもすごいと思う。
リアクティヴィティ―反応=再生する可能性 展 (NTTインターコミュニケーションセンター)
activity の作用があるから reactivity(反応)が存在する。 activity がなければ、その反応もない。 自分が動いたり、行動しないとその反応があらわれてこない。 芸術も一方的に見せるものではなく、芸術家の思惑の一定の枠の中でそれぞれ異なった側面を見せている。 それゆえ、双方向性のある作品が多い。
奈良 美智 from the depth of my drawer 展 (原美術館)
作品数はそれほどなかったのが残念。 しかし、どことなくふわっとした中性的な感じがありよかった。 見ていると、自分で考えろ! と言われているような表情がこれまたいい。 過去を振り返って、失われた道を探るという行為は良くも悪くも現在を見つめるう行為だろう。
ノンセクト・ラディカル 現代の写真III 展 (横浜美術館)
セクト(運動組織)に属さない(ノンセクト)であるが、政治的に無関心ではないという観点から作品を紹介する。
戦争であったり、民族であったり、人種であったり、内戦であったり、文化、歴史であったり、社会問題であったり、「政治」が密接にかかわる問題を取り上げる。 社会の根本として、社会へ出て働くとか、社会に貢献するという言葉があるように、人が集まって社会が成立する。その社会を動かすのは民衆であり、その代表として政治家が存在する。 反政府組織や反乱分子というのは、政府があっての言葉である。政治というのは、民衆には程遠いように錯覚しがちであるが、自分の隣に存在するものであろう。 そういう感覚を感じさせてくれる展である。(投票権が当たり前のようにある日本はすばらしいのだが)
全然スマートではないし、格好よくもない、「しかし」、そこに現実や実在するものがある。人間の生活というものは、そういうものであろう。
世界報道写真展2004 (東京都写真美術館)
報道写真ということなので、現在のイラクやアフガニスタン、リベリア問題の写真が多い。 写真の性質上、断片的な感じがあり、その奥にイメージを膨らませるものを含む。写真に「解説」がつくことでよりリアリティを増すことにもなるが、別の側面を排除してしまうこともあるだろう。
肥満による無呼吸を回避させるために、ベッドの上で人工呼吸器で空気(酸素)を送り込ませている少年の姿をとった写真がアメリカの肥満問題の写真としては衝撃的であった。
CONNECTION AS MEDIA 展 (NTTインターコミュニケーションセンター, 2004)
コミュニケーションの結果としての表現方法をランプに具現化させている。 シャープな感じではなく、穏やかな柔らかさを放つ光のボールを通してコミュニケーションを表現する。 とても小規模なものだが、手軽に楽しむのにはいいかもしれない。
アートがあれば ─ Why not live for Art? 展 (東京オペラシティアートギャラリー)
現代芸術をコレクションする事、コレクションする事によって日々の生活にもたらされるもの、 自分の価値観も含めて変化することなどをコレクションを通じて、また収集した人の考え、視点を通じて私達に伝えようとする。 アーティストと観覧する者の間にコレクションをしている人のなんらかの意図が介在することで新たな関係が築けるのではないかと思う。
宮本隆司写真展 壊れゆくもの・生まれいずるもの (世田谷美術館)
<神戸 1995>は街中を歩いているような錯覚がする作品である。
<九龍城砦>は生活の意思を感じることができる。混沌とした居住空間の中に確かに生活があると思わせるものである。
破壊と再生はいったいであると思うが、再生されている部分の展示(対比としてリアルタイムの映像など)もあれば面白いと思った。
イメージをめぐる冒険 −AND? それとも VS?− 展 (横浜美術館)
《ヒノマル》という作品がなかなか的を得ているように思えてよかった。いろいろな苗字の印鑑を朱肉で日の丸の赤い部分を形成するようにたくさん捺すことで、国旗に見立てている。 そこには、名が多く載っているが、どこの誰だかは全くわからない。しかし、押印することで日本の社会では成り立つことが多い。
いろいろな芸術家を寄せ集めているところに、類似性や相違性を比較して見て取ることができる。
女性たちが見たプライド 展 (スパイラル, 2004)
(ちょっと立ち寄っただけ)どのあたりが、女性の視点なのかがわからなかった。女性が撮ったということなのだろうか。 汗臭さが写っていない所がいいのかな?
ネクスト:メディア・アートの新世代 展 (NTTインターコミュニケーションセンター)
メディアアートの展示である。
《ストリートスケープ》の作品は、個人的に好きである。地図の上をペンでなぞると、ヘッドホンから都市の音が聞こえてくる。 行ったことのない都市の音が、ペンで地図をなぞることで聞こえてくる。とても、新鮮であった。 《歓呼》の作品も、残像が残っていたり、以前の映像が重なってスクリーンに映し出されたりして、普段は意識して感じていないものを見て取れる。 そのほかにも、新しい知覚などをおぼえることができる。
YES オノ・ヨーコ 展 (東京都現代美術館)
今という現在とは少し時間が過去のもののような印象を受ける。その過去の当時はとてもセンセーショナルだったであろうと感じられる。 しかし、《リンゴ》 の作品であったり、夕日を写すアクリル板の作品などは興味を引くものである。 平和であったり、裸というものが象徴するその「時代の感覚」を解放するということではとても進歩的であったであろう。 「願かけの木」では、私は、願いがかなう願いが欲しい、というようなこと書いて吊るした。
ROPPONGI CROSSING 六本木クロッシング:日本美術の新しい展望 (森美術館)
これまでの絵画や彫刻とは違った形の作品が多い。基本的には日常であったり、社会に対する問題提起であったりする。 インスタレーションという展示方法もさることながら、内容もわかりやすいものである。 意味があるないというよりも普段意識しないことを意識してそれを形として表現している。 多くの芸術家、作品にふれることができる。 非常口の案内板の作品はなかなか面白い。
クサマトリックス 草間彌生展 (森美術館)
鏡を生かして空間の奥行きを表している。鏡に気づかなければ無限の広がりがあると錯覚する。 また、鏡に気づくことで自分と交差するように感じる。ある作品では、暗闇の中でただじっと見ていてもきれいだが、 人がいて、動くことでまた別の表現となる。以前とは異なり新しいものを感じる。
MOTアニュアル2004 私はどこから来たのか/そしてどこへ行くのか 展 (東京都現代美術館)
磯山智之の「オレンジ・キャンディ−ズ」の作品がとても良かった。 アイデアというか表現の感覚が自分にとってはとても興味深いものであった。 同類のものをたくさん並べて、それらの皮をはいでいくような感じでいく。
山口晃の作品も、昔風の作画に現代の問題の風刺の要素を練りこんで描いている。 新旧で、相対するものが1つの絵画として表現されているところは面白い。
新しい門出 (相田みつを美術館)
書だけの展示ではなく、映像と音楽を交えた作品もある。 『逢う』の英語での訳(説明?)が、a meeting, a chance, an experience となっていたところが奥が深いなと感じた。 また、色即是空、空即是色は仏教の基本的な教義となっているが、 その意味を理解する事と、作品としての解釈は私にとってとても難しいものである。
FUTURE CINEMA─来たるべき時代の映像表現に向けて 展
現代芸術の良いところとして、新しい試みを感じることができる。既存のものにはない新鮮さがある。 映像と音により、擬似的な体験を感じて取ることができたり、人が移動した位置を線で表現し、 見たものをその位置(線上)から映像として映し出している。 また、ひとつのストーリーを二つの視点で見せている。 なお、一般の日本人にもわかるような配慮があっても良いのではないかと思った。
あかり:イサム・ノグチが作った光の彫刻 展
照明器具「あかり」の作成工程などを紹介する写真などもある。 全体的にもう少し広いスペースに「あかり」をディスプレイしてあれば、もっと、「あかり」の荘厳さが出るように思う。 穏やかでやわらかい光を放つ「あかり」をもっといろんなシチュエーションで鑑賞したかった。 「あかり」単体を存在させるよりも、いろんな場所での「あかり」の位置を感じ取れたらよいと思った。
ジャン・ヌーベル展
建築物が光を遮断するのではなく、光が建築物を透過する。 透過性の高い、ガラスやステンドガラスを使用し、境界を消失させようとする。 建築物は自然や、街や、伝統と対立するのではなく、 共生、インタラクティブ(双方向性)、相互作用をし単独で存在することはない。 縦や横の線を活用し、格子状の線を使用する。見る角度によれば水平線や垂直の線は逆となる。 日本的ではないデザインや素材を感じる。
ガウディ かたちの探求 展
光と影、明暗により形をより明らかにする。 軸を中心に曲線を描き出す。形や線を幾重にも重ねることにより新たな形を作り出す。 建築は光を整え、彫刻は光と戯れ、絵画は色による光の再生である。というように 人間が視覚で感じるものを重要視している。 目を刺激する感覚がある。 空間の中に曲線があるとやわらかく、和やかな印象を感じる。
エイヤ=リーサ・アハティラ展/束芋展
われ思うゆえに我あり、と感じるのか、我ありゆえに我思う、と感じるかということかもしれない。 わたしは主体的に感じるがために私が存在している価値があるというのか、 または、私は存在している、そのために、その存在している状態で社会的な環境で物事を感じる、思うのかといういうことの表れかもしれない。 ロボットのように計画的にプログラムされた行動のみで動くのではなく、 ややこしい限りでもある精神を持って人間は行動する。そういった、人間の精神の部分での 行動や、画一的でない、感じるという人間の精神構造の状態を表している。
ダグ・エイケン │ ニュー・オーシャン 展
ヴィデオ・アートで新たな空間を作り出す。 水をテーマに水の色々な状態とその音、形状を表す。 プロジェクターによって映し出される水の形体が音によって生々しく思える。 自然のものをプロジェクターに映し、音を添える。 人工的なものと自然のものが対照的に思える。 自然のものを人工的なものを使って自然以上に表現する感覚を現代の人間に伝えている。
ルイス・バラガン 静かなる革命 展
一つの形のものが連続して一つの構造物となる。光によって色が反射する水面や、 同じ色の壁が、光があたっている所と影になっているところの明度の違いによって 違う色を表現する。 資料を写真や映像で表し、資料をミニチュアにし、光を当てて実際の色と影の感じを確認することができる。
森万里子 ピュアランド 展
分かる必要はないし、理解しようと試みる必要もないと思う。ただ、感じればいいのである。 それも今感じなくとも、いつか感じたことを思い出せばいいのだと思う。 美術展に行くとよくこのように思う。自分の感性に訴えてくるものをそのまま受け入れればいいのであろう。 美的感覚も人それぞれあるだろうし、その美をどう捉えるかも個人の自由だと思う。 純粋な土地、汚れない土地とはどのようなところなのだろうか。
日展(第33回)
何かの象徴を感じるというよりは、自分の中のイメージを膨らませるという感じのほうが強かった。 自分の中の記憶にリンクさせるもののような作品が自分の目を引いた。 普遍的なメッセージよりは、個人の中のイメージ、記憶に刺激を与えるような作品が特に好ましく思えた。 写実的な作品よりは、イメージを膨らませるような作品のほうが自分にとっては印象に残るものとなったように感じる。
sap art-ing tokyo 2001
ハイテク的な要素を感じるよりは、アナログ的な懐古的な印象を持った。 科学技術的には進歩しているし、それを使って作品の一部は作られているが、人間の感情を揺さぶり 何か自分の記憶を思い出させるような感じのある作品が多かった。 廃校になった校舎を使っているところも、自分の生育してきた過程を再考させるような雰囲気を漂わせている。
R111ー仮想から物質へ
様々なエネルギーを可視化しようとする試みである。情報の持つエネルギーを体験できるところは とても新鮮な感じがする。文字が含んでいるエネルギーを可視化することはとても興味深いところである。
見る・写す・表わす
ジェームズ・タレル展にあったブースのようなものが今回の展覧会にもあった。 現実に見える世界をどのようにあらわすかということを感じる。双方向性のある作品もある。 多くの人の意思が集まって、そこからまた多くの意思が散らばっていく。 意思と意思を伝える媒体のような感じがした。それぞれの人々の意思を作品というフィルターに 通してそれぞれの人間の中に残るものと通りすぎてしまうものにわけているように感じる。 現実にあるそのものもどのようなフィルターに通すかで違ったように感じてしまうだろう。
東京五美術大学連合卒業制作展
12年度24回卒業制作展。いろいろなジャンルがありとても面白いものだった。 油よりもパソコンやビデオを使った作品に興味を惹かれた。 たくさんの作品があり見て回るだけでとても疲れた。どこかで見たことがあるなぁと思ったものもあったが 基本的にはオリジナル的な感じがした。
VOCA展 2001 現代美術の展望ー新しい平面の作家たち
何ともないものかもしれないがいざ表現しようとするとできないものだろう。 ドアの向こう側に世界が広がるような作品がとてもよかった。ドアをノックすれば何かが響いてきそうな印象を与えられた。 ドアの向こう側にいろいろな世界があるような感じがある。また、過去の栄光を皮肉ってあらわす額縁があったりする。
ギフト・オブ・ホープ (21世紀アーティストの冒険)
とても楽しい芸術展だった。全部で2時間30分くらいかけてまわった。 観客が作品を作り上げる過程に手を貸している。観客が手を加えることで作品を仕上げる形になる。 観客が一方的に作品を鑑賞するのではなく、観客が一緒に作品を作り上げることができる。 極めて現代的な技術を使って作品を作れあげることができる作品がある。その作品の材料となるのは観客である。 斬新なアイデアがあり、とても楽しく見てまわり体験することができる。 芸術家が手段を提供して、観客が作品を作り上げてその作品を共有できるところ作品がとてもすばらしかった。
ゲイリー・ヒル幻想空間体験展
ジェームズ・タレル展を連想していったがそうではなかった。 私的にはもっとこうしたほうが良いと思うことが多々あった。平面をもっと立体的に表現するようなものにすれば良いと思ったり、 鏡などを使って一人の時もいろいろと映し出されるようなものにしたほうが良かったのではないかと思った。 一部には、自分にはなかった発想のものがあったが、それも何かもっと工夫したほうが良いような感じを持つ。 それと、日本語訳だけでなく、原文を載せてくれれば良かったと思う。
territory テリトリー:オランダの現代美術
現代美術特有の空間や時間を感じられるような作品がある。 自分にはない感覚や発想を感じられる。一人ではなく、複数人と行くのがいいように思う。 仮想の空間を感じるような作品があったが、それを体験することはできなかった。 自分たちで実際にやってみることができるのは、現代美術の良いところだと思う。
常設展示展もある。ある作家の作品は無機質的で冷たさを感じ、近未来的なものを感じさせ、 私にとってはとても良い印象を持つ。
第2回 柳沢京子きりえ展
積極的なイメージではなく、哀愁のあるような感じを持つ。 負のイメージがあるわけではなく、懐古的な感じがある。 自然への回帰を求めるわけではないが、ふと懐かしさがある。 勢いある曲線と繊細な細かさがある。 全体的に大雑把なイメージを感じるが、そこにポイントをつかむこまやかさがある。 オレンジ色が印象に残る作品が多い。きりえの持つイメージとは反対の色のイメージが対照的に移る。
三宅一生展 Making Things
プリーツを使っていろいろな動きを作り出している。縦や横にプリーツを使って違う動きを作り出している。 いろいろな時代や地域の文化を反映した服装をプリーツで作り出している。 映像を使って未来的な感覚を創作している。古いものと新しいものをうまく共存させようとしているような感じがした デジタル的な世界も演出している。
宮島達男展 MEGA DEATH
個々人の内的時間による死に向かうカウントダウンが興味深い。 アナログ的な死に対してのデジタルの数次によるカウントダウンは対照的でとてもよい。 極めて人間的な死をデジタルで表示しようとする試みはとても良い。 生きている限り必ず直面する死をデジタルという人間が作り出したもので表示しようとする感覚は素晴らしい。 温かい人間が冷たくなる死の過程を無機質なデジタルの数字で示しているのはとても機械的で良い。 人間の感情に対するアンバランスな数字のカウントダウンが何だかとても興味深い。
低温火傷 Cold Burn
何気ない風景に込められている意味を知るとその風景も全く違ったものに見えてくる。 同じ風景でもその人の中に込められている感情がその風景を認識させるのに影響を及ぼす。 一枚の写真がスイスという国柄を端的に表しているように私には思えた。
街にあふれているロゴマークを並べて全く別なものを作り出そうとするその感覚には全く頭が下がる。 その作品を見ると特に何も感じないかもしれないが、その作品を作り出したその感覚がすばらしいと思う。
ハーバード大学コレクション展
個人的にはあまりぱっとしないような印象を持った。現在から見ると過去のことであるが、当時の時代から見ると最新の時代だった。 過去における現代を精一杯生きた印象は分かる。現代でも今という現代を精一杯生きなければならないのかもしれない。 過去における偉業はそれとして、これからのものにつなげられたらと思う。
パサージュ:フランスの新しい美術
いろいろな出来事から作品を創出していると感心させられる。 自分にとって身近なものなのに私には思いつかなく、その芸術家には思いつくその感覚が優れていると感服する。 感性というか、体全体でアンテナを張っているみたいに感じる。 一つ一つにとても敏感になっていてわずかな刺激にも反応しているのがわかる。 研ぎ澄まされた感覚器官を持っているのだと思ってしまう。感覚を受け取る器官をきちんと持ってるところと、その感覚をきちんと認識できてそれを具現化できるところがとてもすごいと感じる。
パスキン展
全体的な雰囲気が強く伝わってくる。印象が良く分かる。精密に見るとぼやけてい見えるが、 少し離れたところから見るととても素敵に見える。 絵の中に描かれている人々の意思が伝わってくる。何を考えて何を思っているのかが私の中に染み渡ってくるようだ。 心の深部に迫ってくるように感じた。
20世紀日本の記憶
それぞれの視点からじ見られている。 自分の中に訴えてくるものはやはり少ない。 生活の過酷さをうまく捉えている作品には興味深かった。 ある程度冷めてしまっているような表情を持った人間には共感できる。 その日まで生きてきたものがどのようなものだったかを想像してしまう。
'99 東京写真月間展
2階企画展示室にて無料公開。主に昔懐かしい情景と現在の情景が対比されている。 私はこの展示会の中で、一つだけとても良いと感じた作品があった。 私は都会で暮らす心情をとてもよく表していると感じた。 私が感じているものをこういう形で表現できるのだと、とても興味深く見た。 殺風景の中にわずかだけ違う世界が垣間見られる可能性があるのだということを感じさせてくれる作品だ。 今いる現状からわずかに光が指しこむことを期待させられるものだ。 結局は私の心情の投影に過ぎないのかもしれない…。
草間 彌生 展
束縛、希望、解放、自己を感じる。何かにとらわれているように感じる。 それから解き放たれたいような印象を持つ。 また、自己を感じるような作品がある。 作者が何にこだわっているのかがよく分かる。
第3回東京国際写真ビエンナーレ−−「記憶/記憶の漂流者たち」
作品を見ても、多くのものは自分の中で処理するものである。 自分がその作品を見て感じてどう思うかである。 作品自体の構成や発想や技術は外側から見れば分かるものである。 しかし、それを受け取る入れ物である私達は外面的なものではなく内面的なものを受け取る。 自分の中に入れた刺激を自分なりに処理する。 そういう意味でこの展覧会はいろいろと感じるものがある。 製作者の意志や思惟を汲み取る私達の側の入れ物をもっと大きくする必要があるように感じる。
「民衆を導く自由の女神」
美術の教科書や写真で見たりするよりやはり迫力がある。教科書で見たりする時には輪郭とか、 どのような絵なのかという、外郭的観点のみしか伝わらないが、実際に自分の角膜しか通さないで見ると絵の気迫が伝わってくる。圧倒される感じをおぼえる。
平常展も見られるので見たが、重要文化財とか国宝と書いてあってもそんなに何も感じなかった。
「時代の体温」
音響を使って、雰囲気を出していたり、製作者が作品を作っているときに聴いていた音楽を、 実際にその作品を見ながら設置してあるMDで聴くことができる。 音楽が違っていると作品自体も違っている。そういうものを体験できるのも現代美術の特徴の一つだと思う。 MDを聴きながら、ずっとその作品を見ているのも作品に浸れて良い。
普段、気づかない視点を用いて、見るもの達に訴えてくるように感じる。 日常の中に普段気にしない美があることを感じさせてくれる。
「MOT アニュアル 1999 ひそやかなラディカリズム」
作品を含めて、その全体の空間の間合いを感じると不思議な感じがする。 個々に作品を見るのもよいが、そのものを含んでいる空間の感覚をつかむと気持ちが良い。
この美術展でも、現実にあるものを使って、それを芸術としていることはとても良い。作品と私との対峙を感じた。 作品を通して、自分の中にある世界がすこし感じられたような感じがした。 現代美術に言えることであろうが、その製作者の着眼点や、実際に存在しているものを捉える目が優れているように感じる。
私はこの美術展の中で、空間を感じることのできるある作品がとても印象に残っている。
「VOCA(ヴォーカ)展 '99」
現代芸術。それぞれの独特の世界を表現しているように感じる。 「平面」ということで空間を感じることはないが、目の錯覚を起こしたり、イマジネーションを呼び起こしたりさせられて、結構興味深い。 作品自体を観て、感じて感想を持つことも良いが、作品を通して自分の中にあるものを感じるのも良いのではないかと思う。
「フロイトの眼鏡から見た…」という作品は、ユニークだった。
高校生以下は無料。大学生も無料にしてほしかった…。
ここは、美術展の感想のWEBページです。